「話す」ということは“スキル”であり、これが高いに越した事は無い。
しかし、気を付けなければならないのは「長所と短所は表裏一体」という事。
「話す」に長けている事が、時に必要以上の事を言ったり、相手に誤解を与えたりする事になる。
そんな中、最も意識すべきことは、自分が「話す」事で、相手の「話す」機会を無くしたり、話そうと言う意欲を削いでいる事になっていないか?という事。
自分が出来る事や当たり前のことは他人も同様では決してない。だから、自分が自然と話せる事は他人も同様であると誤解してはならない。
「話す」スキルの低い人にとっては苦手の悪循環で「話す」機会喪失している事は多々ある、しかし、その人が言いたいことは“口下手”であるというだけで、聞くに足りない、資格ナシ、と切り捨てるのは大きな誤りである。
公平且つ平等な関係や組織を作りたい、作っている言うならば、「話す」というスキルが自他共に低いと認める人がいるならば、意識的にその人の発言を引き出す機会と発言意図や本意を汲み取るように努めるのが自然である。
逆に平たく言うと、口達者な人が上位を占める組織は必ず行き詰まる。得てして、口達者は言行不一致である事が多いので・・・。但し、口達者でありながら、行動が伴っているのであれば、決してそうとはならないが。
常に確認して欲しい。自分が話す事で相手の話を抑え込んではいないだろうか?相手の話を聞き出そうとしているだろうか?相手が話下手だからイライラするので平静ではない自分になっていないだろうか?と。
真に優れた「話し上手」は相手を圧倒・罵倒するのではなく、簡潔明瞭且つ的確に相手に話が出来るという事であって、更に、自分から一方的ではなく、如何なる相手からも「話を聞き出せる・引き出せるのが上手」=「聞き出し上手」であるという事である。