中小企業はナゼ中小企業であるのか?そこには傍若無人に振る舞うバカ社長が君臨し、感情的に言動を行うジャイアンみたいな大人が居た。そんな愛すべきバカ社長の愚行愚言を反面教師に使うもヨシ、呆れるもヨシ、自社はまだマシかと癒されるもヨシ。リアルな社長の生息実態をご紹介。
それでも店を始めますか?
店のオープンまでに必要な知識や考えなければいけないことをまとめています。店を始めてから困らない為に、店を持とう!と思った時にこれを読み始め、全部読み終えて、それでも店を持とう!と思った人は成功確率が高いでしょう。
有難迷惑な、相手を理解出来ていない親切心
「こうして(こう言って)あげれば相手は喜ぶだろう」、「相手はこうして(こう言って)欲しいだろう」等々、相手を思う心(親切心)は、その言動を行う人(言動者)の考えに基づくものであるが、時として結果的に、その親切心を受ける相手が“有難い”と思わない、思えなければ、その言動は「迷惑」でしかない。
言動者からすると、相手が「迷惑」だと受け取った反応に対して、不愉快に思ったり、時には怒る事がある。
これは、言動者が「自分は正しい事をしている」、「自分は親切な事をしているのに」と、自分を“一方的に正当化”していると言え、だから、「“ありがとう”と言わない相手は失礼」、「何故、素直に感謝したり喜ばないのか?」と考える。
こう考えては本末転倒ではないだろうか?
真なる「親切心」とは、相手が有難いと受け取って初めて成立するものなので、言動者が判断する事ではない。
ましてや、言動者が相手の反応を自分が描く通りの想像・期待をしているのであれば、それは言動者の独りよがりであり、見返りを求めている卑しい心であって、「親切心」では全くない。
この様な“「親切心」に見せかけた言動者のマスターベーション”にならないようにする為には、日常的に「相手を知る」必要がある。もっと言えば、「相手を“熟知する”必要がある」。
相手の価値観、思考傾向、趣味、嗜好、癖、習慣、等々。意識して観察する事無しにこれらの情報は得られない。
お分かりの通り、これらを知るには相当の時間が掛かる。念のために言えば、長い時間一緒に居るからと言って知っているとは限らない、先述通り、“意識して知ろうとしない限り”知りえない事だからである。
「親切心」のみならず、コミュニケーションが難しいと言われる原因はここにある。
家族も含めて自分以外の「他人」を、時間という量のみならず、情報の質も意識的に収集に費やす事は容易ではないからである。
私に言わせると、コミュニケーショントラブルはスキル不足以上にナレッジ(知識・情報)不足の方が大きいと言え、多くの場合、相手の事を殆ど知らないにも関わらず、または相手の事を見て(捉えて)いる様で見え(捉え)ていない状態で行われている、と考えている。
更に言えば、ナレッジを一般論をベースに考えると、一般論とは定義も基準もなく目に見えないだけに、言動者の知識・経験による一般論を以て話すので、相手と異なる一般論であればトラブルの原因になって当然である。
「相手を知る」事は「他人に興味・関心を持つこと」と言え、更に言えば「人に興味・関心を持つこと」。
声を大にして言いたい事は、「自分の理解・共感できる価値観や思考の人に“だけ”興味・関心を持つ」のではなく、「自分の価値観や思考等と異なる人“にも”興味・関心を持つ」事で初めて、一般論の幅が広がり自分を助ける貴重な情報源に変わる。
平たく逆に言うと、“人を決め付ける人”、“思い込み激しい人”は、どうしたってコミュニケーショントラブルを起こし易い人であり、真の「親切心」を提供することも難しい。
繰り返すが、真なる「親切心」とは、相手が有難いと受け取って初めて成立するものなので、言動者が判断する事ではない。
「人格能力」+「業務能力」=リーダーに必要な能力
組織に於いてリーダーになる人、なっている人は、「仕事が出来る」からリーダーになっていることが殆どであろう。
それは言い換えると、「業務能力」が高いと私は表現する。
業務能力の高さが評価され、晴れてリーダーとなれば求められるのが「人格能力」と私は言う。
要は、「人として」の能力。
リーダーとなれば絶対的に求められるのが、この「人格能力」。
リーダーとなれば「リーダーシップ」や「マネジメント」と言う言葉が気になるが、それらはテクニックであって、部下たちが見ているのは、リーダーの「人格能力」である。
よく聞く、「あの人は仕事は出来るけどねぇ・・・」という話しが正にこれ。
要は部下から「人として」認められ、慕われてこそ初めて、「リーダーシップ」や「マネジメント」が有効となる。
「人格能力」とは、幼少期からの生育環境が人格能力形成に大きく影響を及ぼすと言われる。
マナー、モラル、一般教養、性格、価値観、生活習慣、等々。挙げるとキリがない抽象的且つ漠然とした「人として」の要素。
これらは正に「仕事と関係ない“人”として」の事である。
見方を変えると、リーダーになって初めて挫折感を味わったと言うなら、初めて自分の「人格」というものを認識し、見直す機会が来たと言える。
万事順調にして、リーダーとなった訳ではないだろう。自身の努力で得た地位は自分を信じて苦難苦痛に耐えて来たことだろう。
「真面目さ」や「正確さ」、「毒気」や「刺々しさ」、いい意味の「頑固さ」。リーダーとなるまでに自分を支えてきたあらゆる要素が身についている。
だからこそ、大なり小なり「自分に自信がある」に違いない。
だからこそ、リーダーとなって部下が動かない、思うようにいかないことは、より大きな挫折と感じるだろう。
正に、その「自信」を一旦“ゼロ”にする勇気と客観性の有無が問われている。
正に、「謙虚」かどうかが問われている。
それが出来るなら「人格能力」は高いし高まると言える。
リーダーになったことを周囲は褒めてくれる。しかし、同時に「人格能力」が大いに問われることは言ってくれない。言ってくれないのではなく、殆ど多くの人はこの言葉を認識していない。
焦らず、着実に生涯かけて磨く「人格能力」。
「自己制御能力」が高いからこそ、「業務能力」を発揮し、リーダーになったあなたは、「人格能力」という言葉にピン!と来たならば、持ち前の「自己制御能力」を「人格能力」研鑽に用いるだけ。
自分が言いたいだけか、相手に伝えたいのか
表題の質問をすると、多くの人は「後者」の為に話しているだろう。
しかし、現実的にあなたが発している言葉はあなたが思っている通り、相手に伝わっているだろうか?
長々と起きたことを事細かに話し続け、相手の頭の中は「要は何が言いたいの?」
良かれと思って話すことが言葉不足で、相手の頭の中は「以前と話が違う」
一所懸命話しているが語彙不足で、相手の頭の中は「何言ってるかわからない」
日本語を話しているにも関わらず、自己流の表現と頭に入っている語彙で話すことで相手によっては伝わっている様で伝わらない。
これが生じるのは“話す”という「スキル」と“語彙”と言う「ナレッジ」不足が原因。
話すスキルが高くても語彙力が低いと単なるお喋りにしか聞こえず、自分が言いたい事を言っているだけ状態になり、相手には殆ど伝わらない。挙句、誤解した語彙を用いて話すと余計に相手の聞く気を損ね、混乱させる。
語彙力があっても、話すスキルが低いと、自分が言いたい事を言っているだけ状態になり、相手には殆ど伝わらない。一例とすると、文末に「~という形で」、「~の事として」、「~と言う訳で」等々、口癖として定型句が来る場合がそうである。
リーダー等、人の上に立ち、人を動かす立場にある人ならば、「話すスキルとナレッジ」が高くなければならない。
十人十色の部下に対し、あなたの言葉を「わかれ!」等と思っている様であればリーダー失格。逆で、十人十色に理解してもらえる「話すスキルとナレッジ」を習得することがリーダーの必要条件である。
これが習得出来ていないと、コミュニケーショントラブルが頻発する。所謂、「言った、言ってない」、「聞いた、聞いてない」、「わかった、わかってない」。
社内の報連相を電話を用いて殆ど多くを行っている組織は必ずと言っていい程、コミュニケーショントラブルが頻発している。そして「話す事」で対処するから、更にコミュニケーショントラブルが重なり悪循環が加速する。
私の経験の限り、「話すスキルとナレッジ」が低い人は文章で自分の伝えたい事を伝えるのも話す事以上に下手な傾向がある。
本人はそれを自覚しているので、「書く事」を避けて「話す事」で意思伝達をしようとするが、話したところで文脈構成が粗末なので、結果、伝わらない。
解りやすく言うと、「書く事」とは、言いたい事を極力、端的且つ簡潔に記述する事なので、「書く事」が上手く出来なければ「話す事」は当然として上手い訳がないのである。
平たく言うと、文章を書くのが苦手や下手な人は話すことが下手であり、逆に言えば、話すのが下手な人は文章を書くのも下手なのである。
これは必ずしも、「教養がある、ない」という事で片付く事ではない。
「教養」とは、主に知識を指すので、語彙と言う知識が高くても、話すのが下手な人も数多くいる。
こういった人は「話す」という行為が不得意が為に「スキル不足」と言え、これは繰り返すことで「量が質を産む」と言う言葉の通り、克服するには何度も何度も繰り返せばやがて上達する。
私に言わせると、「教養がある、ない」ではなく、客観的且つ冷静にに自分を捉えて、無知・無能の自分を省みて勉強しよう!という「向上心があるかないか」の問題である。
現時点で習得しているスキルとナレッジだけでコミュニケーションをとって済まそうと思うのか、それとも、新たなスキルとナレッジを習得すべく、語彙を調べたり、本を読んだり、そして何よりも億劫になりがちな“文章を書いてみる”という事に自ら取り組むかどうかである。
「相手に正確に伝えたい!わかってもらいたい”」と思うなら、長々と情熱的に話すよりも、文章を沢山書いて自分の“話す能力”を鍛える事が必要である。
何事も“上達する”には「努力」が必要で、努力とは「苦しく」「辛い」ものである。その「苦しく」「辛い」ことを「継続」した長さに「上達度」は比例するものである。
事象・言動に”なぜ?”を投げかける習慣を
「事象」とは、“物事”が起きているその様子。「言動」とは“人”が言う事、やっている事。
これら二つに対して、“なぜ?”を投げかける事で、「事象」や「言動」という“表面的”な物事の奥に隠された真実または本意を“想像する”ことになる。
この“想像する”ことは「仮説」と言う言葉に言い換えることが出来、改めて言うと、「事象や言動に対して“なぜ?”を投げかける事を仮説思考」となる。
「仮説思考習慣」の有効性は、「より効果的・効率的・スピーディーな手立てで物事に対処する」、「相手の言動を鵜呑みにしないで物事に対処する」と言う事や、「相手は明確に言わないけど、思いや願いをくみ取り、先回りして手を打つ」と言ったことである。
マネジメント職の人であれば、部下が担当する業務に於いて、出来ない理由を並べるという「言動」を生じていて、そして、「やりたく無いのか?」と聞けば、「やります」と言った場合、「じゃ、やってくれ、頑張れ」ではなく、“なぜ、やるとは言うもの、出来ない理由を言ってくるのか?”と考えて、部下の心理状態や思考を仮説列挙してみる。その上で、部下に仮説を基に質問し、出来ない理由を言う原因を突き止め、それに対するアドバイスや教育を施す。
飲食人であれば、スタッフが遅刻や欠勤と言う「事象」を起こしている場合、闇雲に「遅れるな!ちゃんとしろ!」という言葉を発している様であれば役割不足で、“なぜ、遅刻や欠勤をしているのか?”と考えて、それから想像される理由や原因を列挙した「仮説」を基に、周囲や本人に質問を行い、最たる理由や原因と思われる事を踏まえて、本人と話しをして「事象」の解決にあたってみる。
セールスパーソンであれば、お客様に何かお勧めするも、「要らない」という断りの「言動」を受けた場合、安易に「失礼しました」で引き下がるのではなく、“なぜ、断ったのか?”と考える。更に、注文内容と言う「事象」に着目し、“なぜ、これらの商品を注文したのか?”と考え、お客様の嗜好や利用動機を出来るだけ多く推察し、列挙した「仮説」を基に、再度、お客様におすすめの声掛けや説明を行ってみる。
「仮説」とは読んで字の如く、「仮の説」であるので、正しいとは限らないし、必ずしも一つでもない場合が多い。
仮説思考の際は出来るだけ多くの仮説を考える事が望ましく、その為には仮説化する物事に関する知識や情報の量が求められる。
その知識や情報は一般的に習得するには経験や時間に比例する。よって、若手よりベテランの方が仮説量が多く出せるのは自然な事。決して「仮説思考」の能力差ではない。
読者の中には既にお気付きの方がいらっしゃるだろうが、「仮説思考」は「観察する」という事から始まる。
「観察眼(能力)」とは、平たく言うと“気付く”という能力である。
持論であるが、この“気付く”は「先天的能力」であると言え、容易に身につくものではない。所謂、“センス”である。
多少言及するなら、“気付く”とは、統計的要素であり、多数又は一般的と言われる物事に比べて異なる物事を見つけ出す=気付くという事。
例えば、普段はこういう事象・言動であるが、今日はこうでいつもと異なる。他には、一般的にはこういった傾向(事象・言動)が見られるが、この人やこの場合はそうではなく、こうなっている、等。何かと対比する事で、その違いを見出す、と言う事。
「仮説思考」は一つの思考方法=スキルであるので、繰り返し繰り返し習慣化すれば自然と身につく。「観察する」も注意深く常日頃意識すれば出来る事であるが、観察している中で“気付く”という事だけは先述通り、なかなかどうして、訓練しようにも身につくのが難しい能力である。
だからして、結果的に能力の誤差は先天的な物が影響し、埋まらぬものが必然的に生じる、と私は考える。
これを悲観的に捉えるのか、楽観的に捉えるのか?
自分にはこの能力は無いが、違ったこういった能力がある、と捉える事が賢明と言える。
業態を定性的に9つの要素で理解する
「業態」とが「何屋」か?である。
余談であるが、「業種」は「飲食業」で、飲食業と言う業種における「業態」=何屋という言葉になる。
業態は以下の9つの要素から成り立っていると私は考えている。
①店舗基本コンセプト
②店舗概要(住所・営業時間・定休日・席数・坪数、等)
③客層、ターゲット
④利用動機
⑤商品(メニュー)コンセプト
⑥客単価、FD比
⑦サービスポリシー・オペレーション方法
⑧店舗デザインコンセプト
⑨店舗存在告知方法、来店促進方法、商品販売促進方法
上記、各項目に於いて、長時間営業を行っていて、時間帯別に異なる事項があれば、時間帯別に、その実態を出来るだけ細かく書く。
これらの9要素を一括りにして、「業態バランスシート」(略称:GBS)と呼んでいる。
店と言うのは物理的なものなので、存在としては見えているが、業態自体は見えていない。
そこで、この業態バランスシートは“業態を可視化する”という道具である。
これの使い方は、大きく二つ。一つは「既存店の現状把握」、一つは「新規店の業態開発」。
前者の事例を言うと、店のオーナー・店長・社長の想いや考えがあって始めた店を、そこで働くみんなが同一に理解しているとは限らない。特に長年経過し、開業時のスタッフが不在であったり、オーナーや社長が日常的に現場に居なければ、店は営業の為に“単に開いている”が、“想いや考えそこにあらず”状態に陥り、自然と売上下落傾向に陥る。
そこで、店のオーナー・店長・社長はじめ、店で働くみんな一人一人が、この業態バランスシートに則り、書き方の説明やルールだけ伝えて、各自が捉えるままに自由に書いてみる。
書き終えたものを他社と見比べながら、相違点や共通点を洗い出す。
私の経験上、不審店になればなるほど全員バラバラまたはロクに書こうともしないか考えようともしない。逆に繁盛点は見事に一致するし、書くことも多い。
書き上げた業態バランスシートに「正解」を求めるならば、オーナー・店長・社長の書いた内容がそれとなる。オーナー・店長・社長が自分の想い考えの店をスタッフに運営してもらいたければ、の話しである。
そうではなく、「基準」を求めるならば、オーナー・店長・社長の想い考えは理解した上で、現場スタッフの意向を尊重した店の運営を行えばいい。
いずれにしても、店の運営は団体競技同様なので、リーダーの下に全員の想い考えが一致し、その上で、一致した目指す先に進む事が肝要である。
その為に、感覚的ではなく先述通り、“業態を可視化する”事で、正に「明確に」するのである。
「新規店の業態開発」も想い考えの共有化という点で同じで、オーナー・店長・社長の想い考えを業態バランスシートを用いて一覧でまとめる事で、各種の専門家(インテリアデザイナー、グラフィックデザイナー、メニューコーディネーター、セールスプロモーター等)に個別バラバラではなく、一貫した内容を伝えることが出来る。
そして、専門家たちが作り上げた目に見える物の根源となっている「業態バランスシート」を店舗運営スタッフにも示し、正に「一気通貫」で店に関わる人達が同じ想い考えで臨み、お客様にそれを伝えていくのである。
「業態バランスシート」はその名の通り、“業態のバランス”を捉える“道具”で、企業経営による店舗運営であればある程、“バランスの良さ”を求める事をお勧めする。逆に個人店として、オーナーまたは社長が日々、現場にいると言うなら、バランスの良さなど気にせずに、何か一つ、9要素の1点が突出している状態を作り上げる事をお勧めする。飲み屋と言われる店はマスターやママの強烈な個性による⑦接客が突出している、無愛想で営業日時もバラバラの行列ラーメン屋は⑤商品が突出している様に。
とにかく飲食店経営は「感覚的」に済まされている事が多い。
目に見えない物事を言葉だけで伝えていく。これが失敗する大きな原因の一つ。
家族や親近者でも容易ではないことが、他人となれば尚更難しいものである。
想い考えを「可視化」し、リーダーからスタッフ全員で「共有」し、目指す先に「団結」して進むことが繁盛の一つの秘訣である。
業態は感覚ではなく定量的に理解できる
「焼鳥屋は専門店か居酒屋か?」と質問すると、多くの人は「専門店」と答えるだろう。
マニアックな人は、「最近の焼鳥屋って居酒屋っぽくない?」、「つまみや酒が充実しているし」と答えるだろう。
焼鳥屋を定量的に捉えると「居酒屋」である。
この訳は、客単価に占める飲み物と食べ物の比率である「FD比」が、その判断基準だからである。
概念で言うと、専門店やレストランは90:10~80:20、居酒屋は60:40~50:50、バーやカフェ・喫茶店は10:90~20:80.
この「FD比」を横軸として、縦軸を「客単価」とすれば、業態の定量的理解が出来る。所謂、マトリクス分析。
一般的な焼鳥屋は客単価2,000円前後のFD比50:50の「居酒屋業態」となる。先述のつまみも飲み物の種類が多い焼鳥屋は客単価3,000円前後のFD比60:40の「居酒屋業態」で、客単価違いの競合となる。
カフェで言えば、先駆者であるDトールは客単価300円と言われ、その競合であるSバックスの客単価は600円と言われているので、FD比は10:90~20:80の「カフェ業態」で客単価違いの競合となる。
ややこしいのは、最近“カフェ”と言うと、オシャレで食事もお茶もお酒も楽しめる店をも指す場合が多い。殆ど多くの今どきカフェ業態は一日の売上を客数で割って定量的に言うと、FD比90:10~80:20の客単価2,000円以内が多く、これはFR(ファミリーレストラン)業態と同一のFD比なので、先述の事例と同様の客単価違いの競合である。尚、FR業態の客単価はRホスト1,250円、Gスト750円である。
業態の定量的な理解は「競合を定量的に把握する」という事と、お客様の「利用動機を定量的に理解する」と言う事である。
具体的に言うと、最近では当たり前化した“ちょい飲み」は、従来、FD比90:10~80:20の専門店やレストラン業態だったナショナルチェーン店が、同一店舗で時間帯によって異なる動機(=FD比60:40~50:50の居酒屋業態)を創出した、と言い換えることが出来、結果として、同一FD比の業態である店舗の客を取ることで客数UPを図ったとなる。
この施策の強みは「立地の良さ」、「単価の安さ」、そして「一人でも気軽に入れる」という点である。個食化が進む現代のニーズにピッタリなのである。逆に言うと、大型の夜だけ営業の居酒屋業態にとってはたまったものではない。
FD比と客単価で時流を述べるなら、低客単価の業態(=一般的にナショナルチェーン)は積極的に機能性を高めている、具体的にはメニューのアイテム数を増やしている。(事例として、Y野家のメニューを見れば一目瞭然!)更に、スポットで季節商品や企画商品を投入し、話題や魅力づくりを怠らない。
人口減少の上、少子高齢化は飲食店舗の絶対数が減る事を意味する。誰でも今まで通りに店を続けていけないという事。残るべくして残る“価値”がある店だけが生き残る。
同一FD比の客単価違いは競合と言える。客単価が同一であればナショナルチェーンであっても真っ向勝負の相手となる。個人店、中小外食企業の方々には、今一度、ナショナルチェーン店研究をおススメする。その際、「マズイ!」と一刀両断する必要は無い。見どころは、「どんな商品を取りそろえていて」、「どんな商品をいくらで提供し」、「どんな品質か」である。
私は先述通り、業態を「FD比」⇒「客単価」で分解し、そして「店舗デザインまたはメニューコンセプト」の3段階で分類し体系的に捉える。やはり、3段階目で「感覚的」要素は必要となる。お客様は逆で「店舗デザインまたはメニューコンセプト」⇒「客単価」で店を分類する。
感覚的経営に陥りやすい飲食店経営。やっている本人でさえ、自店の業態を感覚的に捉えていてはプロとは言えない。ここにお伝えした通り、「FD比」を以て業態を定量的に捉え、論理的思考でも自店を捉える事で、厳しいサバイバルレースを生き残って欲しい。
我慢出来ない社長は人を育てられない
“率先垂範”を誤解すると、継続的にリーダーがやり続け、部下たちがいつまで経っても育たなくなる。
“率先垂範”は“やって見せる”=“手本を示す”という事であって、やり続ける、という事ではない。
得てして、事業の核となる活動は、社長が得意とする事であるから、部下に任せると物足りなかったり、不満であったり、自分と違ったりすることで、ついつい手も口も出して、結果的に従来通り、社長が一人仕切って、走り回っているとなりがちである。
本業(核の事業)がコケたら会社は潰れる!という正しい考えが、部下に任せきれない状態を生み出す。
しかし、頭では任せて育て、自分が手を放せる状態にして、違う事をやらねば会社は大きくならない、と理解している。
育てるには長い時間がかかる。
育てるには失敗が伴う。
これらを「損失」と捉えるか「投資」と捉えるか。
これまた、「投資」であるべき、と頭でわかっている。
しかし、“精神的”、“金銭的”余裕の無さから「損失」を恐れ、従来通りの“率先垂範”。
たちが悪いのは、その事業実務をやっていて楽しいから、自分が続けてやりたく手放せない状態の社長。
これでは何処まで行っても「社長」と言う名に隠れた「営業本部長」が実態。
こうなっていると、部下は不幸である。いつまで経ってもアシスタントかつかいっぱしり状態。
マトモな社員なら、こんな会社イヤだ!と思って辞めていくだろう。
育てるには時間も金も掛かる。
一番必要なのは色々な意味での「我慢」。
逆に言えば、人を育てていない、育っていない会社の社長は「我慢」が出来ないと言える。
一代限りで終える、事業の拡大は望まない、というならば、生涯現役トップセールスでヨシ。
違って、永続性や拡大を望むなら、社長自ら「我慢」出来なければ実現できない。
「相手を知る」事ナシに関係構築は不可能
同僚であれ、部下であれ、上司であれ、お客様であれ、取引先であれ、誰が相手でも人との関係を良好に保ちたいのであれば、「相手を知る」事が最も重要である。
“コミュニケーション能力が高い”という言葉は、「話す、聞く事が上手」であるという“スキル”の高さと、「相手の事を知っている」という“ナレッジ”の高さに大別される。
「口下手」と言うのは“スキル”が低いことを指すので、下手なり、失敗しながらも「話す訓練」をすれば、徐々に上手くなるものである。
しかし、「話すネタが無い」と言うのは“ナレッジ”が不足していることを指すので、相手に関する様々な事を知らない限り、一向に話は弾まない。
「相手を知る」為には、先ずは相手を常日頃から「観察」することから始める。
髪型、服装、持ち物、読み物、話題、等々。
外見から見て取れる様々な“情報”を「知る」事で、相手の嗜好や傾向が統計的に見えてくる。
更に、出身地や学生時代の部活動、趣味や稽古ごと、等々、その人の“経歴”を何気ない会話から聞き出す。その際、一方的にイキナリ質問するよりも、自分の事を先に伝える事で、多少なり相手の警戒心を解くことが出来る。
この時、「聞き上手」という“スキル”の高さがあるに越したことは無いが、先述通り、“スキル”なので、繰り返して行くことで上手になるものなので、最初から上手く出来ないと諦めてしまわず、積極的に挑んで欲しい。
言わずとも、「知ろう」とするが為に、「質問攻め」にすると、相手は不快感や警戒心を抱き、それこそ、望む結果と真逆の願わぬ方向に行ってしまうので、急がず時間を掛けて、少しずつ「相手を知る」事が肝要である。
「相手を知る」という事は、「共通点」を見出す事と、「言動の傾向」を推察する事である。
前者は、共通点が会話の糸口となり、互いに知りえるそれに関する知識や情報が話題となり話が弾むだろう。お互いがそれを知っている度合いによって、それに関する関心度も知っている者同士ならでは感じ取ることが出来るはずである。
これにより、共通点がキッカケで「話をする」という機会が自然と増え、同時に「親近感を抱く」事になる。
後者は、例えば、学生時代にスポーツをしていたとして、個人競技なのか団体競技なのか、サークル活動としてか体育会としてか、幼少期からか学生になってからか、等々、相手の“経歴”による経験がもたらす、そのスポーツに対する価値観や思考の影響を一般論と照らし合わせながら、相手の言動を注意深く捉え、推察される相手の“思考”や“価値観”に沿って受け答えが出来れば、相手は「自分をわかってくれる」と認識し、心を開いてくれる可能性が高い。
要約すると、「相手を知る」という事は、「観察力」と「質問力」が必要である。
先述したが、これらをコツコツ時間を掛けて集めていく必要がある。
だからこそ、セールスパーソンは「訪問回数」、リーダー・マネージャーは「接触回数」、飲食店関係者は「リピート喚起」が重要なのである。
心理学で「承認欲求」という言葉がある。
人は誰でも、他人から「認められたい」という心理を持っており、自分を「認めてくれた」人に対して、歩み寄ったり、心を開くという事である。
よって、「相手を知る」という事は、「相手を認める」とも言い換えれる。
仕事上に於いての人間関係は、相手を好きや嫌いで判断する事は求めるべきでない、とにかく「知る」事である。それは好きであろうが嫌いであろうが、先ずは「認める」という事なのである。