賢者と愚者で異なる〝メンドウクサイ”の対処方法

仕事をしていると何かと“メンドウクサイ”事にぶつかる。

対人関係のメンドウクサイ、書類や資料の作成などのメンドウクサイ、等々。

あなたは、この“メンドウクサイ”にどう対処しているだろうか?

愚者は「先送りする」、「かわす(避ける)」、「人に押し付ける」。賢者は「直ぐに対処する」「向き合う」、「自分が対処する」と正反対の方法を選択する。

“メンドウクサイ”事は必然的に生じている事なので、避けては通れない事であり、自然と解決する訳もない事である。それにも拘わらず、愚者は先述の方法を選択する。愚者はそもそも、この事を認識していない場合もしばしばである。

先送りした事はドンドン積もり積もって巨大化すると共に複雑化する。そうなってしまっては手を付ける事さえ億劫になり、手を付けたとしても一人では対処不可能である事が殆どである。

「小さなことからコツコツと」や「苦は楽の種、楽は苦の種」という言葉が示す通り、“メンドウクサイ”からこそ、早いうちに、小さいうちに対処するのが賢明である。

言い換えれば、愚者は「横着者」で賢者は「勤勉者」。

どちらの人物が人から慕われ、信頼され、成功するか?言わずとも明白である。

あなたは愚者か賢者か?

それは頭がいいとか悪いとかの話ではない。

中小企業に優秀な人材は来ない

インパクトのあるタイトルになっているが、正確には続きがあって、「中小企業に優秀な人材は来ない」“と考えて、既存社員の育成に邁進すべし”、である。

よって、もし優秀な人材が来たならラッキー!ツイてる~!という程度に考えておき、それを期待せずにいることが必要であると言いたいのである。逆にいうと、既存社員の育成こそが中小企業の必然である。

「人を育てる」事は手間暇・時間・労力・根気等々、いくつもの負担が掛る。なので、億劫になったり回避したりとなり、結果的に“他力本願”=優秀な人材入社という期待になってしまう。

逆を考えてみると明白なのだが、何か特殊な技術や知識が備わっている中小企業であればまだしても、優秀な人材がワザワザ普通の中小企業に来る理由があるだろうか?または、何かの間違いや誤解で来るだろうか?

また、厚遇の中小企業があるとして、その厚遇になっている理由は既存社員が優秀だからこそ厚遇を作り出しているか、事業そのものが唯我独尊で寡占状態なので厚遇とすれば、むしろ優秀な人材は不必要と言える。

繰り返すが、「優秀な人材は来ないと考えて、既存社員の育成に邁進すべき」である。そして育成にショートカット無し。

いざ、教えるとなれば、「自分が出来る事と教える事の違い」に気づくだろう。

ここで向き合うのは自分自身。

しかし、“メンドウクサイ”心が横着心となり、「口で言って聞かせて事を済ませよう」とするのが殆どである。または、外部の専門家を使って対処しようとすればマシな方だが、これも“他力本願”でしかない。

要は、「人を育てる」事は「自分も共に進化・成長する」事である。

にも関わらず、自分は上位者だからとか、自分は出来ている・知っていると慢心や錯誤をしてしまい、自己放棄を決め込んでしまう。

そんな人物がリーダーをしている会社が進化・成長するだろうか?

リーダーが育成と言う役割を放棄する事は「自分が楽をしたい」という事にほかならず、同時に「会社の停滞を招く」という事である。

如何なる役職に就いても、何歳になっても、“日々勉強”という向上心がリーダーに絶対必要で、偉くなればなるほど、“苦行”と言えることに向き合え、耐えられるかが問われる。

 

言葉と文章は嘘をつく

「やります!」、「出来ます!」、「わかりました!」、「反省しています」「買います!」、「頼みます!」と“言って”も、反省文や誓約書を“書いて”も、それは言っている人、書いている人の「本心」であるとは限らない。

唯一、「本心」を見抜くことになるのが、その人の「行動」だけである。

「行動」だけは嘘をつけない。

言い方を変えれば、「相手の言葉を鵜呑みにしない」という事が自分が傷つかないようにしたり、ショックを受けないようにしたり、また、腹を立てたりしたい為の最良の方法と言える。

こう言うと、「人を疑ってかかるのですか?」と返される。

「鵜呑みにしない」という事は「疑う」という事と辞書的な意味でも異なる。違う言葉で「鵜呑みにしない」を説明すると、「早合点しない」とか「真意を深く理解する」となる。

もっと言うなら、「ゆっくりと落ち着いて、相手の言っている事を質問返ししながら、言っている本心を確認する」となる。

ポイントとなるのは、相手に“質問返し”するという事。

相手に質問して、相手にたくさん話してもらう事で相手の本心を掴みとるのである。

これによって、相手自身も自分が発した言葉が相手に伝わっていないことを認識するし、自分の言葉と本心の一致不一致を明確に認識することになる。時に、話が支離滅裂になれば、発した言葉は本心ではないことが把握できる。

この様に、質問するスキルがあれば幸いであるが、無くても先述通り、「相手の“行動”を注視する」、これに限る。

鳥瞰・俯瞰・大局観

鳥瞰は「全体」を捉える、俯瞰は「立体的」に捉える。いずれも元は建築用語。大局観は「現況・成り行き」を捉える。

この似て異なる着眼点はリーダーに絶対必須である。

逆にいうと、局所や細部に目が向きがちになってしまい、それだけを捉えて物事を判断するという事に陥りがちと言える。

実務で言うならば、現場を“まわす”という事は誰もが重要であり、止めてはならないと考える。現場を止めてしまっては信頼を失ったり、金銭的に損失を招くことになるのが明白だから、これは正しい認識である。

中小企業のリーダーはプレーヤーと一緒に日常的に現場に入って“まわす”というのは「当然」と言える状態だけに、先述通り、局所や細部に目が向きがちになってしまう。

その現場で生じる多種多様な課題・問題。これは現場に居るからこそ、その詳細を把握する事が出来る。これはリーダーが現場に居る事の最大の価値である。しかしながら、現場に居ればいるほど鳥瞰・俯瞰・大局観の着眼点を忘れてしまうのも事実である。

だからこそ、「現場を抜ける」という物理的状況を自らつくらねばナカナカどうして、思考だけをそう持って行けと言っても難しいものである。

例えるなら、船を「漕ぐ」事と「舵を取る」事の違いであり、プレーヤーは「漕ぐ」、リーダーは「舵を取る」のが、それぞれの現場に於ける役割分担である。

一時的でも現場を抜ける勇気と決断。これが一番難しく悩むことであり、多くの場合、わかっていても実行出来ないでいるのが中小企業。だから、いつまで経っても何も変わらず苦悩の毎日。

抜け出ず、変わらぬ苦悩の日々を今後も過ごすのか?抜け出て、多少の犠牲や損害が生じても希望やワクワクする日々を過ごすのか?その判断をするのがリーダーである。

言うは易し行うは難し

私の感覚ではリーダーと言われる人は、「話す」というスキルが高い人が多い。これは、スキルが高いからリーダーなのか、逆でリーダーだからスキルが高いのかは不明であるが、「話す」と言うスキルはリーダーに必要なスキルの一つであるのは言うまでもない。

スキルが高いとなると、それは長所と言えたり武器とも言える。しかし、「長所は短所の裏返し、であり、その逆も然り」なので、「口は災いのもと」となる。

この事を認識していても、ついうっかりと「口にしてしまう」事は避けられない。

何も「口にする」ことがダメではなく、「口にしたこと」が結果的に自分にだけ影響や迷惑を及ぼすのであれば自業自得で済むが、それが他人に及ぼすのであれば話は別である。ましてや、リーダーと言う役割に於いてであれば尚更である。

要は、「口にしたこと」を結果として、「行動にする」という一致させる事が出来るかどうかが最も重要なのである。

当タイトルは「言行一致」という四文字熟語と同意であり、それだけ「言う事」と「行う事」を一致させるのは容易ではないという事であり、「言う事」は容易であり、「行う事」は容易ではないと説いている。

「単なる“話し上手”のリーダーになってはいないだろうか?」、辛辣にいうと「単なる“口先だけ”のリーダーになっていないだろうか?」

「話す」というスキルが高いリーダーは、この言葉を常に自問自答する事が真なるリーダーになるために必要である。

「話す」というスキルよりも「行動する」と言うスキルの方が重要であり価値が高いという事を認識すれば、「話す」というスキルが苦手と思っている人は、「背中で伝える」という方法は決して間違いではないということを認識し、自信を以て積極的に「行動」していただきたい。

 

ルールをつくるもリーダー壊すもリーダー

中小企業に多く見受けられるのは「感覚的」に何事も行われているという事。

色々な業務や判断に於いて、社長を筆頭とするリーダーの“頭の中”が判断基準として存在し、会社を運営している。

この状態では万事「社長ありき」なので、常に社長に「あれはどうなっていますか?」、「これはどうすればいいですか?」、「こう言われましたが、どうすればいいですか?」等の連絡が入る。

そして、社長の気分が良い時は快諾即応するが、そうでない時は感情的になり周囲を不愉快にしたり、業務を滞らせることになる。

こんな状態の繰り返しに流石に社長自身が嫌気がさし、何とか「仕組み」や「ルール・基準」を設けようと一考を案じる。

この行動は大いに結構であるが、強いて言うなら「自分のため」。もっと言うなら、「自分の機嫌や体調・予定都合・業績が“いい時”のため」。

だから、運用し始めて、その前提が逆になると社長自らが「臨機応変」、「朝令暮改」などの変更や廃止を正当化する言葉を用いて“率先垂範”する。

こういった事が一度ならずも二度三度起これば部下たちは「いつも通りでいいいや」と諦めや呆れ、無責任な心情に陥る。

そして、悪循環のスパイラルに入る。

当たり前の話だが、ルール・基準は“みんなのため”に“平等に”存在するという事をリーダーは強く認識しなければならない。だからこそ、自分都合勝手に決めたり、変更したり、廃止したり等は許されないのである。

新しいことは直ぐに馴染まなくて当たり前。だからこそ、一旦決めたルール・基準は「継続は力なり」の通り、リーダーが時に口うるさく注意喚起し維持活動を行う事がその役割であり、この役割はとても難しい。

だからこそ、リーダーが“率先垂範”しなければならないし、“率先垂範”出来るからこそリーダーである。

 

聞いてくれよと待っていても来ない

リーダーとして部下との積極的なコミュニケーションが重要と認識し、日頃から何かと“話しかけている”のであれば大いに結構であるが、コミュニケーションの重要性は認識しつつも、“待っている”のであれば、それは違う。

リーダーがいくら「いつでも来てくれ!」と言っても、真面目な部下であればあるほど、「失礼ではないだろうか?」、「迷惑ではないだろうか?」、「こんな事を聞いていいのだろうか?」と勝手に考えてしまい、結果的に話すタイミングに困っているという事が日常茶飯事である。

更に、“話しかけている”にも、単に“一声「どうだ?」とかける”のか、ある程度、“具体的な話を投げかけている”のでは大きな違いがあり、勿論、出来るだけ後者でありたい。

部下一人一人、悩んだり、迷ったり、考えている点は異なる。勿論、経験や能力も異なる。だからこそ、一人一人に対して丁寧に、陥りそうな状態を推察し、話しかけてあげる。

この状態を作るためには、日々の接点から、各人の業務進捗は勿論、業務能力や性格など、目に見えない部分を注意深く観察し把握しておく必要がある。この点でもまた、リーダー自身が自分から部下を“見に行く”ことが必然となる。

これらを部下に対して「甘やかす」、「迎合する」、「勘違いさせる」と捉えるのは早合点である。

“話しかける”という事は“答えを教える”、“代わりに対処する”という事ではない。リーダーは部下に対してヒントやコツを伝えるまでで、あくまでも対処する当事者は部下であり、“考える力”を引き出すことが狙いである。

“見に行く”という事は部下に対して“興味・関心をもつ”という事で、“メンドウクサイ”、“こっちも忙しい”という自分都合を言っているという事は役割放棄である。

上位者になればなるほど、現場に出向いたり、部下に歩み寄ったりと“自ら”行うという事が重要であるが疎かになりがちであるので注意したい。

優れたリーダーは「来るのを待つ」のではなく「自分から行く」。

 

勝手に育てば中小企業にいない

「そんな事知らないのか?もっと勉強しろ!」、「君は向上心がないのか?」、「今のままでいいのか?」など、叱咤激励の時もあるだろうし、叱責の時にこういった言葉を発してしまう事があるだろう。

リーダーから見れば「自発的な意欲」によって、部下が所謂“やる気”を出してくれることを願うのは当然である。

しかし、部下本人に聞けば、この様な率直な返事があるかも知れない。

・本人なりに“やる気”は出しているが、あなたの評価に値しない

・“やる気”を出したいが、どうやって出せばいいのかわからない

・“やる気”は出すものの、持続できずにいる

 

「自発的な意欲」を願うという事は「出来のいい部下」である事を期待していると言い換えられる。

自発的に勉強し、集中力があり、継続力もある。そんな能力を備えた人が履歴書を出せばほぼ入社できる中小企業に入社希望してくるのだろうか?

それが出来れば学歴が全てとは言わないが、その人の能力を表す一つとして学歴が目安となるだろう、それ以上に日々の勤務姿勢や態度を以て、その人の能力はある程度把握できるだろう。

それからすれば、「育てなければ育たない」と明白なはずである。

リーダーであるあなたが“メンドウクサイ”・“たいへん”だから育てることを回避しようと思う考えから、部下の自発的な意欲を発奮させる声掛けならば、リーダーとして役割放棄である。勿論、「会社が育ててくれればいい」と思うも然りである。

リーダーの役割の一つは「育てる」事。リーダーの役割なのだから「育てる」事は「義務」として認識を持つべきである。

“はず”・”だろう”がトラブルの根源

・長年取引しているからお客様の事は知っているはず。

・担当者なんだから、当然知っているだろう。

・この事は以前に話したから覚えいているはず。

・長年、この仕事をしているから知っているだろう。

・もうこの歳だから、こんな事は知っているはず。

 

こんな、“はず”や“だろう”と言う、あなたの「思い込み」や「決めつけ」を以て、お客様や部下と接していないだろうか?

意思疎通を図る相手に対して、常に細々と「わかってる(た)?」、「知ってる(た)?」等と聞いたり確認する事は相手に対して失礼でもあるし、メンドウクサイという事からも行わないのが普通である。

だからこそ、トラブルが起こる。

話すあなたの前提と聞いている相手の前提は必ずしも一致しない。

一つの物を同時に見ても、あなたと相手の見る角度が違えば違った見え方になるだろうし、見え方が同じとしても、同じように捉えるとは限らない。また、あなたが伝えたいことを伝えるために用いた語彙(単語)は相手が同じ理解をしているとは限らない。

だから、コミュニケーションは難しい。しかし、コミュニケーションは最も重要。

コミュニケーションに於けるトラブルを100%未然に防止する事はほとんど不可能であるが、意識することで抑制する事は可能である。

その方法は先述にあるが、相手に対して話し方は注意した上で、「知っているだろうか?」、「わかっているだろうか?」と配慮しながら、丁寧に慎重に確認しながらコミュニケーションを取るのである。

この配慮を以てコミュニケーションに臨むと、相手の話す内容から「前提のズレ」を感じ取れるようになる。そうなれば、互いの為に一旦立ち止まって、前提の確認を行えばよい。

こうやってコミュニケーションを取る方法がメンドウクサイ!と言うならば、これをせずに生じたトラブルに対処するメンドウクサイとどちらが本当にメンドウクサイのか?ゆっくりと考えれば答えは明白である。

相手が誰であっても、どんな話であっても、自分には「思い込み」、「決めつけ」がある、と自覚すれば、相手に対して丁寧に慎重に確認しながらコミュニケーションを取るという配慮が自然と出来るはずである。

先ずはコミュニケーションの「量」を。そして次に「質」を高めよう!

 

 

 

 

教えてこそリーダー

昇格は上位者があなたを評価して決まるものである。違う言い方をすると、部下があなたを評価して昇格する制度は殆ど無いはずなので、あなたは上位者に認められているが、部下から認められているとは限らない。

リーダーとして重要な事は、如何に部下から高い評価を受けるのか?である。

その為に部下に迎合したり、過度な気遣いは無用であり、行うべきは、部下一人一人に応じてあなたが備えている様々なスキルやナレッジを教え伝える事である。

中小企業のリーダーに見受られるのは、部下が何か聞いてくると「そんなことも知らないのか!」、「自分で調べろ!」と、自分が知らないことは素直に認めず逃げる。時には知っていたとしても、うまく説明できないので口八丁手八丁に煙に巻く。

部下から高い評価を受けるとは、信頼や尊敬されるという事である。

信頼や尊敬されるためには、「教える」という行為が最も有効な方法である。

「教える」事により、リーダー自身が自己点検する事にもなる。要は、教えれるという事は120%理解していなければ人には教えられない。なんとなくという感覚的な理解や記憶であることは教えられないのである。

これにより、自分を客観的に把握し、自分自身が成長するきっかけを掴むことにもなる。

教える事は仕事の事のみならず、プライベートと言われる事や人としての倫理観や道徳観、時には哲学など、話題が多岐に及べば及ぶほど、それがあなたの魅力として部下に映るのである。

自問自答して欲しい、「私は彼ら彼女に何を教えられるのか?教えてきたのか?」

その答えが部下のあなたへの評価である。