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有難迷惑な、相手を理解出来ていない親切心

「こうして(こう言って)あげれば相手は喜ぶだろう」、「相手はこうして(こう言って)欲しいだろう」等々、相手を思う心(親切心)は、その言動を行う人(言動者)の考えに基づくものであるが、時として結果的に、その親切心を受ける相手が“有難い”と思わない、思えなければ、その言動は「迷惑」でしかない。

言動者からすると、相手が「迷惑」だと受け取った反応に対して、不愉快に思ったり、時には怒る事がある。

これは、言動者が「自分は正しい事をしている」、「自分は親切な事をしているのに」と、自分を“一方的に正当化”していると言え、だから、「“ありがとう”と言わない相手は失礼」、「何故、素直に感謝したり喜ばないのか?」と考える。

こう考えては本末転倒ではないだろうか?

 

真なる「親切心」とは、相手が有難いと受け取って初めて成立するものなので、言動者が判断する事ではない。

ましてや、言動者が相手の反応を自分が描く通りの想像・期待をしているのであれば、それは言動者の独りよがりであり、見返りを求めている卑しい心であって、「親切心」では全くない。

 

この様な“「親切心」に見せかけた言動者のマスターベーション”にならないようにする為には、日常的に「相手を知る」必要がある。もっと言えば、「相手を“熟知する”必要がある」。

 

相手の価値観、思考傾向、趣味、嗜好、癖、習慣、等々。意識して観察する事無しにこれらの情報は得られない。

お分かりの通り、これらを知るには相当の時間が掛かる。念のために言えば、長い時間一緒に居るからと言って知っているとは限らない、先述通り、“意識して知ろうとしない限り”知りえない事だからである。

 

「親切心」のみならず、コミュニケーションが難しいと言われる原因はここにある。

家族も含めて自分以外の「他人」を、時間という量のみならず、情報の質も意識的に収集に費やす事は容易ではないからである。

私に言わせると、コミュニケーショントラブルはスキル不足以上にナレッジ(知識・情報)不足の方が大きいと言え、多くの場合、相手の事を殆ど知らないにも関わらず、または相手の事を見て(捉えて)いる様で見え(捉え)ていない状態で行われている、と考えている。

更に言えば、ナレッジを一般論をベースに考えると、一般論とは定義も基準もなく目に見えないだけに、言動者の知識・経験による一般論を以て話すので、相手と異なる一般論であればトラブルの原因になって当然である。

 

「相手を知る」事は「他人に興味・関心を持つこと」と言え、更に言えば「人に興味・関心を持つこと」。

声を大にして言いたい事は、「自分の理解・共感できる価値観や思考の人に“だけ”興味・関心を持つ」のではなく、「自分の価値観や思考等と異なる人“にも”興味・関心を持つ」事で初めて、一般論の幅が広がり自分を助ける貴重な情報源に変わる。

平たく逆に言うと、“人を決め付ける人”、“思い込み激しい人”は、どうしたってコミュニケーショントラブルを起こし易い人であり、真の「親切心」を提供することも難しい。

繰り返すが、真なる「親切心」とは、相手が有難いと受け取って初めて成立するものなので、言動者が判断する事ではない。

 

 

 

 

 

「人格能力」+「業務能力」=リーダーに必要な能力

組織に於いてリーダーになる人、なっている人は、「仕事が出来る」からリーダーになっていることが殆どであろう。

それは言い換えると、「業務能力」が高いと私は表現する。

 

業務能力の高さが評価され、晴れてリーダーとなれば求められるのが「人格能力」と私は言う。

要は、「人として」の能力。

 

リーダーとなれば絶対的に求められるのが、この「人格能力」。

リーダーとなれば「リーダーシップ」や「マネジメント」と言う言葉が気になるが、それらはテクニックであって、部下たちが見ているのは、リーダーの「人格能力」である。

よく聞く、「あの人は仕事は出来るけどねぇ・・・」という話しが正にこれ。

要は部下から「人として」認められ、慕われてこそ初めて、「リーダーシップ」や「マネジメント」が有効となる。

 

「人格能力」とは、幼少期からの生育環境が人格能力形成に大きく影響を及ぼすと言われる。

マナー、モラル、一般教養、性格、価値観、生活習慣、等々。挙げるとキリがない抽象的且つ漠然とした「人として」の要素。

これらは正に「仕事と関係ない“人”として」の事である。

 

見方を変えると、リーダーになって初めて挫折感を味わったと言うなら、初めて自分の「人格」というものを認識し、見直す機会が来たと言える。

万事順調にして、リーダーとなった訳ではないだろう。自身の努力で得た地位は自分を信じて苦難苦痛に耐えて来たことだろう。

「真面目さ」や「正確さ」、「毒気」や「刺々しさ」、いい意味の「頑固さ」。リーダーとなるまでに自分を支えてきたあらゆる要素が身についている。

だからこそ、大なり小なり「自分に自信がある」に違いない。

だからこそ、リーダーとなって部下が動かない、思うようにいかないことは、より大きな挫折と感じるだろう。

 

正に、その「自信」を一旦“ゼロ”にする勇気と客観性の有無が問われている。

正に、「謙虚」かどうかが問われている。

それが出来るなら「人格能力」は高いし高まると言える。

 

リーダーになったことを周囲は褒めてくれる。しかし、同時に「人格能力」が大いに問われることは言ってくれない。言ってくれないのではなく、殆ど多くの人はこの言葉を認識していない。

焦らず、着実に生涯かけて磨く「人格能力」。

「自己制御能力」が高いからこそ、「業務能力」を発揮し、リーダーになったあなたは、「人格能力」という言葉にピン!と来たならば、持ち前の「自己制御能力」を「人格能力」研鑽に用いるだけ。

 

 

 

 

 

自分が言いたいだけか、相手に伝えたいのか

表題の質問をすると、多くの人は「後者」の為に話しているだろう。

しかし、現実的にあなたが発している言葉はあなたが思っている通り、相手に伝わっているだろうか?

 

長々と起きたことを事細かに話し続け、相手の頭の中は「要は何が言いたいの?」

良かれと思って話すことが言葉不足で、相手の頭の中は「以前と話が違う」

一所懸命話しているが語彙不足で、相手の頭の中は「何言ってるかわからない」

日本語を話しているにも関わらず、自己流の表現と頭に入っている語彙で話すことで相手によっては伝わっている様で伝わらない。

これが生じるのは“話す”という「スキル」と“語彙”と言う「ナレッジ」不足が原因。

話すスキルが高くても語彙力が低いと単なるお喋りにしか聞こえず、自分が言いたい事を言っているだけ状態になり、相手には殆ど伝わらない。挙句、誤解した語彙を用いて話すと余計に相手の聞く気を損ね、混乱させる。

語彙力があっても、話すスキルが低いと、自分が言いたい事を言っているだけ状態になり、相手には殆ど伝わらない。一例とすると、文末に「~という形で」、「~の事として」、「~と言う訳で」等々、口癖として定型句が来る場合がそうである。

 

リーダー等、人の上に立ち、人を動かす立場にある人ならば、「話すスキルとナレッジ」が高くなければならない。

十人十色の部下に対し、あなたの言葉を「わかれ!」等と思っている様であればリーダー失格。逆で、十人十色に理解してもらえる「話すスキルとナレッジ」を習得することがリーダーの必要条件である。

これが習得出来ていないと、コミュニケーショントラブルが頻発する。所謂、「言った、言ってない」、「聞いた、聞いてない」、「わかった、わかってない」。

社内の報連相を電話を用いて殆ど多くを行っている組織は必ずと言っていい程、コミュニケーショントラブルが頻発している。そして「話す事」で対処するから、更にコミュニケーショントラブルが重なり悪循環が加速する。

 

私の経験の限り、「話すスキルとナレッジ」が低い人は文章で自分の伝えたい事を伝えるのも話す事以上に下手な傾向がある。

本人はそれを自覚しているので、「書く事」を避けて「話す事」で意思伝達をしようとするが、話したところで文脈構成が粗末なので、結果、伝わらない。

解りやすく言うと、「書く事」とは、言いたい事を極力、端的且つ簡潔に記述する事なので、「書く事」が上手く出来なければ「話す事」は当然として上手い訳がないのである。

平たく言うと、文章を書くのが苦手や下手な人は話すことが下手であり、逆に言えば、話すのが下手な人は文章を書くのも下手なのである。

 

これは必ずしも、「教養がある、ない」という事で片付く事ではない。

「教養」とは、主に知識を指すので、語彙と言う知識が高くても、話すのが下手な人も数多くいる。

こういった人は「話す」という行為が不得意が為に「スキル不足」と言え、これは繰り返すことで「量が質を産む」と言う言葉の通り、克服するには何度も何度も繰り返せばやがて上達する。

 

私に言わせると、「教養がある、ない」ではなく、客観的且つ冷静にに自分を捉えて、無知・無能の自分を省みて勉強しよう!という「向上心があるかないか」の問題である。

現時点で習得しているスキルとナレッジだけでコミュニケーションをとって済まそうと思うのか、それとも、新たなスキルとナレッジを習得すべく、語彙を調べたり、本を読んだり、そして何よりも億劫になりがちな“文章を書いてみる”という事に自ら取り組むかどうかである。

 

「相手に正確に伝えたい!わかってもらいたい”」と思うなら、長々と情熱的に話すよりも、文章を沢山書いて自分の“話す能力”を鍛える事が必要である。

何事も“上達する”には「努力」が必要で、努力とは「苦しく」「辛い」ものである。その「苦しく」「辛い」ことを「継続」した長さに「上達度」は比例するものである。

事象・言動に”なぜ?”を投げかける習慣を

「事象」とは、“物事”が起きているその様子。「言動」とは“人”が言う事、やっている事。

これら二つに対して、“なぜ?”を投げかける事で、「事象」や「言動」という“表面的”な物事の奥に隠された真実または本意を“想像する”ことになる。

この“想像する”ことは「仮説」と言う言葉に言い換えることが出来、改めて言うと、「事象や言動に対して“なぜ?”を投げかける事を仮説思考」となる。

 

「仮説思考習慣」の有効性は、「より効果的・効率的・スピーディーな手立てで物事に対処する」、「相手の言動を鵜呑みにしないで物事に対処する」と言う事や、「相手は明確に言わないけど、思いや願いをくみ取り、先回りして手を打つ」と言ったことである。

マネジメント職の人であれば、部下が担当する業務に於いて、出来ない理由を並べるという「言動」を生じていて、そして、「やりたく無いのか?」と聞けば、「やります」と言った場合、「じゃ、やってくれ、頑張れ」ではなく、“なぜ、やるとは言うもの、出来ない理由を言ってくるのか?”と考えて、部下の心理状態や思考を仮説列挙してみる。その上で、部下に仮説を基に質問し、出来ない理由を言う原因を突き止め、それに対するアドバイスや教育を施す。

飲食人であれば、スタッフが遅刻や欠勤と言う「事象」を起こしている場合、闇雲に「遅れるな!ちゃんとしろ!」という言葉を発している様であれば役割不足で、“なぜ、遅刻や欠勤をしているのか?”と考えて、それから想像される理由や原因を列挙した「仮説」を基に、周囲や本人に質問を行い、最たる理由や原因と思われる事を踏まえて、本人と話しをして「事象」の解決にあたってみる。

セールスパーソンであれば、お客様に何かお勧めするも、「要らない」という断りの「言動」を受けた場合、安易に「失礼しました」で引き下がるのではなく、“なぜ、断ったのか?”と考える。更に、注文内容と言う「事象」に着目し、“なぜ、これらの商品を注文したのか?”と考え、お客様の嗜好や利用動機を出来るだけ多く推察し、列挙した「仮説」を基に、再度、お客様におすすめの声掛けや説明を行ってみる。

 

「仮説」とは読んで字の如く、「仮の説」であるので、正しいとは限らないし、必ずしも一つでもない場合が多い。

仮説思考の際は出来るだけ多くの仮説を考える事が望ましく、その為には仮説化する物事に関する知識や情報の量が求められる。

その知識や情報は一般的に習得するには経験や時間に比例する。よって、若手よりベテランの方が仮説量が多く出せるのは自然な事。決して「仮説思考」の能力差ではない。

 

読者の中には既にお気付きの方がいらっしゃるだろうが、「仮説思考」は「観察する」という事から始まる。

「観察眼(能力)」とは、平たく言うと“気付く”という能力である。

持論であるが、この“気付く”は「先天的能力」であると言え、容易に身につくものではない。所謂、“センス”である。

多少言及するなら、“気付く”とは、統計的要素であり、多数又は一般的と言われる物事に比べて異なる物事を見つけ出す=気付くという事。

例えば、普段はこういう事象・言動であるが、今日はこうでいつもと異なる。他には、一般的にはこういった傾向(事象・言動)が見られるが、この人やこの場合はそうではなく、こうなっている、等。何かと対比する事で、その違いを見出す、と言う事。

 

「仮説思考」は一つの思考方法=スキルであるので、繰り返し繰り返し習慣化すれば自然と身につく。「観察する」も注意深く常日頃意識すれば出来る事であるが、観察している中で“気付く”という事だけは先述通り、なかなかどうして、訓練しようにも身につくのが難しい能力である。

だからして、結果的に能力の誤差は先天的な物が影響し、埋まらぬものが必然的に生じる、と私は考える。

これを悲観的に捉えるのか、楽観的に捉えるのか?

自分にはこの能力は無いが、違ったこういった能力がある、と捉える事が賢明と言える。

 

我慢出来ない社長は人を育てられない

“率先垂範”を誤解すると、継続的にリーダーがやり続け、部下たちがいつまで経っても育たなくなる。

“率先垂範”は“やって見せる”=“手本を示す”という事であって、やり続ける、という事ではない。

得てして、事業の核となる活動は、社長が得意とする事であるから、部下に任せると物足りなかったり、不満であったり、自分と違ったりすることで、ついつい手も口も出して、結果的に従来通り、社長が一人仕切って、走り回っているとなりがちである。

 

本業(核の事業)がコケたら会社は潰れる!という正しい考えが、部下に任せきれない状態を生み出す。

しかし、頭では任せて育て、自分が手を放せる状態にして、違う事をやらねば会社は大きくならない、と理解している。

 

育てるには長い時間がかかる。

育てるには失敗が伴う。

これらを「損失」と捉えるか「投資」と捉えるか。

これまた、「投資」であるべき、と頭でわかっている。

しかし、“精神的”、“金銭的”余裕の無さから「損失」を恐れ、従来通りの“率先垂範”。

 

たちが悪いのは、その事業実務をやっていて楽しいから、自分が続けてやりたく手放せない状態の社長。

これでは何処まで行っても「社長」と言う名に隠れた「営業本部長」が実態。

こうなっていると、部下は不幸である。いつまで経ってもアシスタントかつかいっぱしり状態。

マトモな社員なら、こんな会社イヤだ!と思って辞めていくだろう。

 

育てるには時間も金も掛かる。

一番必要なのは色々な意味での「我慢」。

逆に言えば、人を育てていない、育っていない会社の社長は「我慢」が出来ないと言える。

 

一代限りで終える、事業の拡大は望まない、というならば、生涯現役トップセールスでヨシ。

違って、永続性や拡大を望むなら、社長自ら「我慢」出来なければ実現できない。

 

 

「相手を知る」事ナシに関係構築は不可能

同僚であれ、部下であれ、上司であれ、お客様であれ、取引先であれ、誰が相手でも人との関係を良好に保ちたいのであれば、「相手を知る」事が最も重要である。

 

“コミュニケーション能力が高い”という言葉は、「話す、聞く事が上手」であるという“スキル”の高さと、「相手の事を知っている」という“ナレッジ”の高さに大別される。

「口下手」と言うのは“スキル”が低いことを指すので、下手なり、失敗しながらも「話す訓練」をすれば、徐々に上手くなるものである。

しかし、「話すネタが無い」と言うのは“ナレッジ”が不足していることを指すので、相手に関する様々な事を知らない限り、一向に話は弾まない。

 

「相手を知る」為には、先ずは相手を常日頃から「観察」することから始める。

髪型、服装、持ち物、読み物、話題、等々。

外見から見て取れる様々な“情報”を「知る」事で、相手の嗜好や傾向が統計的に見えてくる。

更に、出身地や学生時代の部活動、趣味や稽古ごと、等々、その人の“経歴”を何気ない会話から聞き出す。その際、一方的にイキナリ質問するよりも、自分の事を先に伝える事で、多少なり相手の警戒心を解くことが出来る。

この時、「聞き上手」という“スキル”の高さがあるに越したことは無いが、先述通り、“スキル”なので、繰り返して行くことで上手になるものなので、最初から上手く出来ないと諦めてしまわず、積極的に挑んで欲しい。

言わずとも、「知ろう」とするが為に、「質問攻め」にすると、相手は不快感や警戒心を抱き、それこそ、望む結果と真逆の願わぬ方向に行ってしまうので、急がず時間を掛けて、少しずつ「相手を知る」事が肝要である。

 

「相手を知る」という事は、「共通点」を見出す事と、「言動の傾向」を推察する事である。

前者は、共通点が会話の糸口となり、互いに知りえるそれに関する知識や情報が話題となり話が弾むだろう。お互いがそれを知っている度合いによって、それに関する関心度も知っている者同士ならでは感じ取ることが出来るはずである。

これにより、共通点がキッカケで「話をする」という機会が自然と増え、同時に「親近感を抱く」事になる。

後者は、例えば、学生時代にスポーツをしていたとして、個人競技なのか団体競技なのか、サークル活動としてか体育会としてか、幼少期からか学生になってからか、等々、相手の“経歴”による経験がもたらす、そのスポーツに対する価値観や思考の影響を一般論と照らし合わせながら、相手の言動を注意深く捉え、推察される相手の“思考”や“価値観”に沿って受け答えが出来れば、相手は「自分をわかってくれる」と認識し、心を開いてくれる可能性が高い。

 

要約すると、「相手を知る」という事は、「観察力」と「質問力」が必要である。

先述したが、これらをコツコツ時間を掛けて集めていく必要がある。

だからこそ、セールスパーソンは「訪問回数」、リーダー・マネージャーは「接触回数」、飲食店関係者は「リピート喚起」が重要なのである。

 

心理学で「承認欲求」という言葉がある。

人は誰でも、他人から「認められたい」という心理を持っており、自分を「認めてくれた」人に対して、歩み寄ったり、心を開くという事である。

よって、「相手を知る」という事は、「相手を認める」とも言い換えれる。

仕事上に於いての人間関係は、相手を好きや嫌いで判断する事は求めるべきでない、とにかく「知る」事である。それは好きであろうが嫌いであろうが、先ずは「認める」という事なのである。

作業は丸投げしても知識は己が学べ

私の知る限りだが、中小企業に経理担当をおく傾向が多く見られる。

社長入れて全部で3人の会社にも、別に経理担当者がいる、といった事例もある。

因みに、こういった会社でも決算の際には税理士ないしは会計士に依頼しており、決算時のみ士業に依頼し、月次は社内で処理しているパターンと、士業に月次で処理してもらっているが、社内に経理担当者をおいているパターンがある。

 

社長たちに「何故、経理担当者をおくのか?」と聞くと、「経理の事が解らない」、「処理が面倒くさい」等と返ってくる。

「何が解らないか?」と聞くと、解らないのではなく、解ろうとしていない、知ろうとしていないとしか捉えようのない答えが返ってくる。

「どう、処理が面倒くさいのか?」と聞くと、処理方法の説明を聞いているうちに、何だか複雑で難しいと受け取り、知ることを中断したような答えが返ってくる。

そして、殆どの社長は口をそろえて、「自分が経理をやるよりも、営業の方が重要でしょ?」と言う。

 

奇しくも、こういった会社で後日起きたことは、売上不振になり、経費削減が必然となった際に、パートの経理担当者の人件費に目が行き、切るに切れないジレンマが生じたり、経理担当者が権力を握った様な状態になり、資金移動や経費精算等に於いて、社長が指示しようにも言うとおりに動かず、機嫌を伺わねばならなくなったり、いきなり辞めると言い出し、引き継ぎもせずに出て行ってしまった、等々。

要は、“足元を見られた状態”になって、社長が苦労した、という結果になっている。

 

重要な事は、本タイトル通り、“作業”は人を雇ってやってもらえばいい、しかし、その人がやっている“作業”に関する経理の“知識”は士業から直接指導を受け、知る必要がある。

そもそも話であるが、事業を営むという事は利益を追求する事、平たく言うと、「お金を残す為にやる」という事なのだから、お金を稼ぐのが目的ではなく、稼いできたお金を原資に、払うべき物事に払い終えた後にいくら残ったか?までが社長の責任範囲である。

営業だけするなら単なるセールスパーソン。経営者と言うなら、稼いできたお金の流れの顛末まで「知っている」事。

 

因みに、私自身の経験を言うと、経営コンサルティング・飲食店プロデュース事業と別に、一時期4店舗の飲食店経営を行い、年商約5億円、PA含む従業員入れて50名の規模だったとき、経理担当者はゼロ。

店舗は店舗で出来るところまで処理し、月末締めの各種経理関係書類は10日に顧問税理士に提出し、同月の25日以降月末までに前月分の損益計算書を作成してもらっていた。最終的に私が取りまとめ役となり、顧問税理士に毎月提出していた。

出来るだけ簡素且つ迅速に処理できるよう、双方の役割分担の明確化と、それが実現する書式を設け、更には当社が使いやすい勘定科目名を用いた損益計算書(PL)作成と給与計算を行ってもらっていた。

 

私に言わせると、経理は「整理整頓」。

得たお金は「いつ」、「誰から」、「いくら」を明確にし、使ったお金は、「いつ」、「誰に」、「いくら」、「何のため」を明確にするだけ。

ポイントは「何のため」かで、これを専門用語で「勘定科目」と言う。一般的な「勘定科目」を使おうとするから難しく感じるだけ。難しいと思う勘定科目を自分が理解できるわかりやすい言葉に変えればそれでヨシ。

 

決して難しいものでもなく、面倒くさいものでもない。

行っている事業が結果的にどうなっているのか?を社長が把握する事は当然の事。

結果だけを聞かず、プロセスを知る事こそ、問題・課題が生じた時に、多種多様な対処がスピーディーに行える。

 

「経営者」というなら経営者に必要な知識を身に着ける事。作業はやらなくても構わない。

 

 

 

 

 

 

幹部が代替案を示せないのは社長が原因

「ダメだ」、「良くない」、「違う」等々、誰かの意見に対して否定する事は容易である。

しかし、「代替案」ナシに否定だけする事は幹部として慎むべきであると認識しているだけに否定すること自体が憚られる。

 

代替案が出せないのは何故だろうか?

意見者よりも知識や情報が不足しているからなのか?思考力が不足しているからなのか?当事者意識が無いからなのか?

 

中小企業で生じがちなのは会議における社長のワンマンショー。

幹部は遠慮があって言わないと言うよりも、社長よりも先述通り、知識や情報が大きく欠落又は不足している事に加えて思考していない事から、幹部は代替案はおろか、反論も出来ず何も言わない言えない。しかし、感覚的に“否定”を感じる。

逆に言うと、社長は幹部が不出来だと嘆くのではなく、社長が経験した事や持っている人脈等から見聞きした同一の知識や情報を幹部は持っていない、という前提違いを強く認識すべきである。

それを、「勉強しろ!」と切って捨てるのは酷で、むしろ、幹部にそういった経験をさせていない自分自身を省みるべきである。

 

社長は常に会社を良くしようと考えているので行動的で経費面でも自由がきくのであちこち行って色々な人と積極的に会い、色々な物を見て知る。それが有意義で価値があると気付くので更に拍車がかかる。そして新たに得たことを基に色々考えはじめる。

一方、幹部は大抵“守り”と言うべく、社内を見ていて行動範囲も接触人物も狭くなりがちである。聞くことは部下の愚痴や不平不満、そして様々なトラブルや問題。考える事の殆ど多くは現実の

これが中小企業に起きる社長と幹部の大きなかい離の原因である。

 

「幹部なんだから、自覚して自分からもっと勉強しろ!」と怒っても仕方がない。

幹部を教育するのも社長の重要な役割の一つなので、言い換えれば、役割を放棄して相手に押し付けて怒っている状態。

部下が勝手に望むように育つ事など無い、と思って自ら育てる他ない。

 

行動的な社長になればなるほど、この状態に陥る。

運よく優れたNo.2に出会えたら、会社は発展間違いなしであるが、それは宝くじの一等当選よりも確率が低い事。

 

立場や年齢が上の人に本音を言わぬが人の常

上司に対して“意見する”という事は部下にとって容易ではない、という事を強く認識しておくべきである。

あなたが中間管理職であればお分かりの通り、あなたが社長に“意見する”事と同様の心理である。

ましてや、“反論”や“異論”となれば躊躇するのが当然で、これを強く認識しておかなければ「裸の王様」に陥るのである。

 

社長はじめ、リーダーは物事を“判断”するのが役割である。

しかし、“判断”に際して、「感情的になる」、「言葉少なく断ずる」等、言い方を間違えると、それに関わる人達は「諦め」、「呆れ」、「投げ槍」等々、失望ややる気を失せる事になってしまう。

 

例えば新商品の試食会を開催しているとして、結論的にダメな物はダメで要変更、再構築なのだが、それを「マズイ!こんなものはダメだ!」で断じてしまう状況。

提案側に意図や想い考えがあってそれをつくったと考えられないだろうか?それとも単に手抜きのやっつけ仕事なのだろうか?

後者だと判断できるなら、先述の断じる方法で構わない。しかし、前者ならばリーダーであるあなたがそれらを「聞き出す」必要がある。

あなたの怒りや呆れ、失望と言う感情を抑え、相手が話しやすくなる雰囲気をつくり、丁寧に本心で提案側の意図や想い考えを「聞き出す」のである。

 

あなたがリーダーとしてワンマンではなく、皆の意見や考えを取り入れ、全員参加型でフラットなチームや組織を目指す、と言うのであれば、「どんどん言ってくれ!」ではなく、どんどんあなたから「どうしてなのか?」、「何故なのか?」、「どんな考えなのか?」等々、あなたから「聞き出す」事を積極的に行う必要がある。

念の為言うが、「聞き出す」事をし、返す刀で否定や反論してはいけない。

それをしてしまうと、「聞き出す」事は単なるポーズでしかないと相手は認識し、本音を言わなくなってしまう。

 

もし、あなたが全員参加型でフラットなチームや組織を目指しているにも関わらず、部下から意見やアイデアが出ず、それを部下が無能で部下が原因だというのは早合点である。

そうではなく、部下をその様な状態に追い込んでいるあなたの無能無知が原因かもしれないと考えるべきである。

 

 

安請け合いの兄貴肌は無用の存在

中間管理職は社長と社員の板挟み。

下から不平不満や愚痴を聞き、上からは指示命令や怒りを受ける。

これらを聞くのが中間管理職の仕事の一つと言えば一つだが、聞いて宥め透かして終わっていては事態は一向に改善せず、両社から反発や怒りを買って自らの立場が悪くなるだけである。

しかも、下に対して“兄貴肌”や“上司面”して対処しているなら、最悪である。

何故なら、下は現状を改善要求しており、改善された「結果」を求めているのであって、不平不満や愚痴を「聞いてもらう」事を望んでいる訳では決してない。

 

自らの立場の誇示と保身の為だけの“兄貴肌”や“上司面”対処は「言葉」で示すのではなく、自らの「行動」で示すのである。

具体的には、下からの不平不満や愚痴の“根本的原因”を探り出し、それを“解決する為の方法論”を考え出す。方法論が自分の能力で至らなければ、専門家や士業に知恵を借りればいい。借りるにしても丸投げにならないよう、これを機に基礎知識を身に着けるべく勉強すべきであろう。さもないと、上からも下からも必要とされるのは専門家か士業となり、あなたではなくなってしまう。

そして専門家や士業から示された解決案を社長と社員両方の目線で捉え、両者にとって意味のあるものかどうかを考えねばならない。その上で、上である経営者や社長に示し“判断”してもらう。

判断してもらうにも、1案だけを示すのではなく、2~3案用意し、この案の長所短所、この案の長所短所等、それぞれの違いを明確にし、上がいい意味で“悩む”材料を示すことが必要である。

 

誤解している中間管理職はこれが社長の仕事と思っている事が多い。

もし、あなたが役員なら、これらは確実にあなたの仕事である。もし、部長と言うなら、本来的には役員の仕事であるが、役員が役割を果たさず、下が疲弊しやる気を失っているのであれば、あなたがやるべきだろう。

言い方を変えると、会社の規則やルールが未整備の為に生じる事項は役員=経営者なのだから、それらを対処する必要がある。規則やルールが存在する事項とは別の問題課題であれば、あなた自身が解決すべく自学自習し、下に“教える”必要がある。

 

ハイハイと聞いて言って“言葉”だけで「対処」するだけの兄貴肌や上司面は無用である。必要なのは“行動”し「解決する」兄貴や上司である。