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三角関係によるコミュニケーションのススメ

“えっ!?”と思うタイトルだが、決して男女関係の話ではない。

社会生活に於いて、上司と部下、営業担当者とお客様、自分と同僚や友人ナドナド、様々な人間関係があり、次に「上下関係」、「利害関係」、「夫婦関係」ナドに枝分かれする。

人間関係は社会生活を営む以上、避けて通れないものであり、時に悩みや悲しみを生じ、時に喜びや楽しみも生じるもので、厄介でもあり有用でもある。

特に、悩みや悲しみが生じる事を、避けたり減らしたりすることが出来るのであれば誰もがそう願うであろう。

その方法として「三角関係」をオススメしたい。

人間関係は1:1が基本であるので、1:1の関係に於いて生じる先述の事象が、その殆ど多くである。だからこそ、1:1にならない状態を作り出すという事が、それを避けたり減らしたりする事になる。違う言い方をすれば、誰かを“巻き込む”というという事である。

“巻き込む人”は当事者にとって第三者であり、求められる事は「客観的な認識・判断が出来、更に一定程度、当事者双方の立場を把握している人」である。

こう書くと難しく聞こえるが、平たく言うと、上司と部下の場合であれば上司と同格の人か、それ以上の役職の人。営業担当者とお客様の場合であれば、お客様を紹介してくれた人。自分と同僚の場合であれば、双方が慕う同僚となる。

こういった第三者の存在を否定的に「そんな人いる?」と考えるのであれば、1:1の関係を悩み続けるほかない。人間関係の悩みが生じたときに慌てて対処しようとしても即効薬などないという事を肝に銘じておき、だからこそ、常日頃から“巻き込む”第三者を探すことを意識して欲しい。

この三角関係は何もネガティブな場合に限った方法ではない、相手を褒めたり、喜ばせたりするポジティブな場合でも有効である。

スキルよりナレッジを習得すべき

先ず、“スキル”も“ナレッジ”も人の能力である。

巷では“スキル”と言う言葉が多用されている。敢えて言うなら乱用されているように思う。特に仕事に関する話には、やたらと“スキル”という言葉が使われがちである。

“スキル”とは「技術や技能」がその語彙である。言い換えると「動作」であって「目に見える」。

パソコンソフトであるエクセルやワードを操作するスキル、スマホやタブレットを操作するスキル、フォークリフトやユンボ(パワーショベル)を操作するスキル、といった用い方がわかりやすいかと思う。

先述通り、“スキル”は「技術や技能」なので、よって、初めは誰だって、どんな事だって不慣れだから下手で上手くいかない。しかし、繰り返す事によって熟練され、その能力が高まってくるものである。逆にいうと、繰り返さなければ高まる事は無いと言える。

“ナレッジ”とは「知識や知見」がその語彙であるが、私はこれに「情報」も加えて語彙と説明する。こちらは“スキル”と違って「目に見えない」。

 

“スキル”と“ナレッジ”の関係は“スキル”が「線」で“ナレッジ”が「点」とするとわかりやすい。

「点」が3つあり、それらを「線」で繋いで出来る図形は三角形「1つ」である、「点」が4つあり、それらを「線」で繋いで出来る図形は四角形や三角形など、少なくても「4つ」である。

共に、出来た図形を「業務対応能力」や「コミュニケーション能力」とすると、「点」が多い方が出来る図形の数が多いので、能力が高いと言える。

要は、“スキル”は“ナレッジ”によって活かされるものである。だから、“スキル”よりも“ナレッジ”を習得すべき、と言うのである。

もう少し説明すると、“スキル”は「線」なので、この説明で言うと“スキルが高い”は「線が太い」となる。よって、「線」がどれ程太くても、「点」が少なければ、シッカリとした三角形は出来ても、数は1つでしかない。この状態を平たく言うと、単なる「おしゃべり上手」である。

おしゃべり上手のセールスパーソンは一見するとデキる奴に見えても、話し込んで行けば無知が露呈すると逆に反感を買ったり、痛々しいものである。

“スキル”は「高く」、“ナレッジ”は「多く」である。

“スキル”は繰り返し繰り返し、何度も何度も「動作にする」事で高くなる。“ナレッジ”は先ず出来るだけ幅広く自分に取り込み、そして繰り返し繰り返し、何度も何度も「話す」事で「多く」なる。“ナレッジ”を多くするには二段階のプロセスが必須である。

私が知る限り、所謂、会社勤めをしているビジネスパーソンに於いて欠落しているのは“スキル”ではなく、“ナレッジ”と思う。何故なら、どんな業種や職務であれ特別な“スキル”は必要としていないからで、それが証拠に転職すると転職先の業種知識が無ければ最初は苦労するが、パソコンやスマホ・タブレットなどで困る事は無い。

“ナレッジ”という「点」を出来るだけ多く習得する事が、あなたの公私を豊かにしてくれます。先ずは興味関心のある事柄を深堀する事、少なくとも従事する業種の専門知識は誰よりも習得する事。

長年、その業種に従事している事で身に着く“ナレッジ”は同業他社のライバルも同等に習得しているので何ら差別化は図れない。意識的に“ナレッジ”の習得を行う事無しに個の優位性は生まれない。

是非、貪欲に「点」の習得を!

 

肩書で人を判断しない

肩書は組織に於いて、ある人の地位や身分を示す代名詞。そして、肩書は一つの「目標」であり、「動機」でもある。

しかし、中小企業に於ける肩書ほど感覚的に付与され、名実乖離しているものは無いだろう。

例えば、「全国部長検定」があったとして、大中小企業の部長と言う名の人が一堂に会すれば、その能力差は歴然と表れるものと推測する。

肩書とはそれぞれの組織に於けるものであるので、組織の人数やレベルに関係なく付与されるので、この様な事が生じる。

要は、何の統一基準もない肩書と言う呼称を以て、その人を捉える事は誤解が伴うという事。

もし、肩書を以て、その人を捉えるならば、その人が所属する組織に於いての、その人の役割や能力を示すものという程度にすればいい。

違う言い方をすると、その人の能力を把握できたなら、その時にその人の肩書を見てみれば、その組織の程度が垣間見えるという事。

あなたの組織と相手の組織の中身実態は決して同一ではない。だから、あなたの組織感覚で他の組織を捉えてはいけないし、無意味である。

社長だから部長だからナド、あなたが思う、肩書に伴う理想的な相手を描いても先述通り、何ら統一基準は存在しないので、実態が伴っている可能性は望めず、むしろ、描いたあなたが実際のギャップに違和感や戸惑い、時には怒りさえ覚えることになるだろう。

肩書ほど当てにならないものは無い。肩書ではなく、その人自体をよーく捉える事。あなたが目の当たりにしたその人の言動がその人である。

 

誰の話も素直に聞く

自分の意志を持つこと、それを主張する事は無いよりも良い。しかし、時にそれが相手を受け入れない“障壁”となってしまう事となる。「長所と短所は表裏一体」の通りである。

気を付けなければいかないのは、相手の“主張”と相手と言う“人物”を同一視してしまう事。

自分より若い人の主張は、自分より若いという事で経験や知識・情報が自分より劣るであろうという先入観を持つことにより、その若い人の主張を素直に聞けなかったり、斜めに聞いてしまう。

逆に、自分より年上で、しかも何らかの肩書を持つ人であったり、有名な人と言われると、先述の逆の先入観で妙に聞き入ってしまう。

極端な事を言うと、その人物を見ずに目を閉じて、プラス、人物の略歴などの情報も事前に聞かずに、その人の話を聞くという姿勢が良いという事。

以上の「誰の話も素直に聞く」というのは“誰の話も”という点に重きを置いた“素直”。

そしてもう一つ。「誰の話も素直に聞く」という事は、相手の話をあなたが“受け入れた”(=認めた)のではなく、あくまでも“聞き入れた”(=聞いた)ダケと言うこと。

よって、“聞き入れた”後に、相手の主張とあなたの主張の相違点や、相手の主張の矛盾点など、あなたの主張をすればいい。

相手の立場から言うならば、自分の主張を“受け入れてもらえない”の前に、全部“言わせてもらえない”、という事で、あなたに対して嫌悪感を抱くことになり感情的になってしまう。

もしかすると、相手は“受け入れてもらう”という事はダメ元と承知の上で、“言わせて欲しい”だけかもしれない。胸の内を吐き出すことでスッキリしたいだけかもしれない場合もある。全部言えた事で満足感や充実感を得てしまうかもしれない。

以上の「誰の話も素直に聞く」というのは“聞く”という点に重きを置いた“素直”。

繰り返すが、常日頃、心掛けたいのは、「誰の話も素直に聞く」。もっと言うなら、「誰の話も先ずは一旦全部素直に聞き入れる」。

 

 

 

指示・依頼の際は意味・理由付けを

リーダーは人を動かすのが役割であるので、人に指示や依頼する事は多い。

指示・依頼を通じて、相手が自分が思うように動いてくれなければ、その先の結果は願う事にならないのだから、先ずは指示・依頼する内容を相手に“分かりやすく”伝える事が必要である。

“分かりやすい”は2つあって、1つは「話すスキル(=話し方)」と1つは「意味・理由付け」する、という事。

例えば「明日までにこの書類を仕上げて欲しい」という依頼をしたとする。

前者の「話すスキル」を以て“分かりやすく”伝えるというのは、「明日〇時から役員会があるので、この書類を〇部、A4片面出力でホチキス1か所止めして、私の机に置いておいてくれ」となる。

要は、出来るだけ「詳細」に「具体的」に話すという事。

後者の「意味・理由付け」を以て“分かりやすく”伝えるというのは、「俺から〇〇役員に以前から、この案件を議題として取り上げて欲しいとお願いしていたところ、ようやく明日の役員会で協議してもらえるという事になったので」となる。

要は、明日までに仕上げて欲しい「何故(=意味・理由)」を話すという事。

リーダーからすると、「気を効かせてくれよ!」、「言われたことダケで終わるなよ!」、「もっと聞いて(質問して)来いよ!」等々、部下に対して期待や要求をする事を、リーダー自身が先に自分からキチンと伝えるという事である。

逆にいうと、「明日までにこの書類を仕上げて欲しい」という端的な依頼に対して、部下が色々と深堀して質問してきたら、その部下は優秀と言える。が、しかし、それは期待薄で他力本願なので望まないべきである。

こう伝える事で、書類精度を上げたり、二重手間やリーダー自身の苛立ちも未然に防止することになり、依頼を受けた相手も責任感が高まり、意欲的に取り組んでくれる期待が持てる。

平たく言うと、リーダーは面倒くさがらずに、依頼・指示する時は丁寧に意味・理由付けしつつ、詳細・具体的に伝えるという事を常日頃、心掛けておかねばならないという事。

 

“話し”上手よりも“話させる”上手が一流

「話す」はスキルの一つで、これが高いに越したことはない。営業と言う職種やリーダーと言う役職に就いている人は相手を説得したり、物事を説明したりするので特に要求される。

このスキルは誰もが高い訳ではなく、多少で言うと少数の人なので、一見すると“話し上手”は“デキる人”と錯誤しがちである。逆に“話し上手ではない人”は、“デキない人”と思われがちである。

そして、“話し上手”には2種類あり、話す内容の質が低い人と高い人がいる。

前者は単なる“おしゃべり上手”と言え、ペラペラ流暢に話すも、よくよく話を注意深く聞くと、大した話しをしておらず、感銘・共感を受ける事が少なく、右から左に聞き流しても支障ない。後者は本当の“話し上手”で、話す内容に感銘・共感を受け、所謂、話に引き込まれる。

この様に、“話す内容の質が高い話し上手”であるに越したことはない。しかし、それ以上に“話させる上手”であることが本当のデキる営業・リーダーである。

そもそも端的にそれぞれの役割を言えば、営業の役割は、お客様に「買ってもらう」という結果を出す事、リーダーの役割は部下に「動いてもらう」という結果を出す事で、両方とも「相手にこちらが望む結果に至るよう、自らの意思を決定させる」という事なので、話している本人がどれだけ流暢に質の高い話しをしても、相手がこちらが望む結果に至らなければ無意味である。

要は、話す事で相手を説得している、と言える状態であるので、相手が“納得すれば”いいのである。

では、相手が“納得する”という結果に至るには、「人から話を聞かされて」と「自分が(で)話して」のどちらの方法が、より深く“納得する”だろうか?自分に置き換えて一考いただきたい。

答えは自ずと後者の「自分が(で)話して」となる。

よって、あなたは相手がどんどん話す、話したくなるように、「質問上手」、「相槌上手」になる事(ノリやおべんちゃらで「ヨイショ上手」ではないので誤解無く)が求められ、それが“話させる上手”になるという事

「話し上手よりも聞き上手」という言葉を耳にしたことがるだろう、それもこの事を指しており、言い換えれば、「話し上手よりも“聞き出し”上手」となる。

いずれにせよ、あなたが話すよりも相手に“話させる”。このスキルが高い事こそが、一流の営業でありリーダーと言える。

 

 

 

話している事は勉強した事

話している事=アウトプット、勉強した事=インプットと置き換え、これらの関係性を説明すると、インプットする事無しにアウトプットは出来ない。逆に言うと、アウトプットできるのはインプットした事だけ、となる。

因みに、「事件は現場で起こっている」や「習うより慣れろ」が示す通り、“優先”すべきは「アウトプット」。

伝えたいことは、プレーヤーからリーダーとなったなら、それまでにインプットしたことだけでは通用しないので、リーダーとしてのインプットを積極的に行って欲しいという事。

陥りやすいのは、プレーヤーとして一定成果を出したからこそ、リーダーに抜擢されたであろうが、プレーヤー当時のインプットとアウトプットに慢心してしまいがち、という事。

実務やリーダーとしての職務に励む日々に於いて、そのこと自体がインプットと誤解している人も多い。

その結果、実務に於いてはこれまでのインプットを以てアウトプットするので対処や解決が出来るものの、リーダーとしての職務は失敗や対処・解決方法が不明な状態に陥っているにも関わらず、メンツを重視してしまい、最もらしい言動で事を凌ごうとしてはいないだろうか?

平たく言うと、「昔取った杵柄を捏ね繰り回してリーダーをしていないか?」という事。

学生が授業に出席していてもテストで誰でが100点取れないのと同じ。日々の仕事をしているからと言って、リーダーとしての勉強が着実に身についている訳ではない。

アウトプット出来る事はインプットした事。話せる事は勉強した事。

今、あなたが話している事は昨日・先週・先月・去年と比べて、進化変化成長した内容になっていますか?それとも、大して変わりありませんか?

後者なら、インプットが足りませんよ。

 

使う言葉の語彙は正しく理解していますか?

文化庁が平成25年に行った世論調査では、「割愛する」は約65%の人が「不必要なものを切り捨てる」と間違えて認識していることが分かった。正しくは「惜しいと思う物を手放す」という意味である。

この例の様な誤解をした言葉遣いになっていないだろうか?

リーダーが会議の場で発言をする際、威厳を示そうとするばかりに普段の会話では使わない単語をキチンと調べず使っている場面にしばしば遭遇する。

そのリーダーだけの間違いならまだしても、それを聞いた部下たちが、リーダーが使った言葉を“正しい”、とか“カッコいい”と捉えてか、自分で語彙を調べる事もせずに間違えたまま使っているケースも少なくない。そうなれば、その社内では、その言葉が「公用語」となってしまっている。

誤解のまま難しい言葉を平然と話している状態は正しい語彙を知っている人から見ると痛々しくもあり、同時に、その人の知力を疑う。ましてや、その人がリーダー等の要職に就いているのであれば、その組織自体の程度が窺い知れる。

言い換えれば、リーダーは影響を及ぼす立場であるのだから、発する「言葉」さえも慎重かつ適切でなければならない。

平たく言うと、使う言葉一つも勉強したうえで使わねばならないという事。

本物のリーダーは昇格すればするほど自らを高めるべく勉学に励む。ナンチャッテ・名ばかりリーダーは勉学から逃避する。

リーダーである人は「話す」というスキルはそこそこ長けている場合が多い。それだけに、この点は良くも悪くも露呈しやすいという事。知らぬ間に恥をバラまいていないだろうか?

 

賢者と愚者で異なる〝メンドウクサイ”の対処方法

仕事をしていると何かと“メンドウクサイ”事にぶつかる。

対人関係のメンドウクサイ、書類や資料の作成などのメンドウクサイ、等々。

あなたは、この“メンドウクサイ”にどう対処しているだろうか?

愚者は「先送りする」、「かわす(避ける)」、「人に押し付ける」。賢者は「直ぐに対処する」「向き合う」、「自分が対処する」と正反対の方法を選択する。

“メンドウクサイ”事は必然的に生じている事なので、避けては通れない事であり、自然と解決する訳もない事である。それにも拘わらず、愚者は先述の方法を選択する。愚者はそもそも、この事を認識していない場合もしばしばである。

先送りした事はドンドン積もり積もって巨大化すると共に複雑化する。そうなってしまっては手を付ける事さえ億劫になり、手を付けたとしても一人では対処不可能である事が殆どである。

「小さなことからコツコツと」や「苦は楽の種、楽は苦の種」という言葉が示す通り、“メンドウクサイ”からこそ、早いうちに、小さいうちに対処するのが賢明である。

言い換えれば、愚者は「横着者」で賢者は「勤勉者」。

どちらの人物が人から慕われ、信頼され、成功するか?言わずとも明白である。

あなたは愚者か賢者か?

それは頭がいいとか悪いとかの話ではない。

中小企業に優秀な人材は来ない

インパクトのあるタイトルになっているが、正確には続きがあって、「中小企業に優秀な人材は来ない」“と考えて、既存社員の育成に邁進すべし”、である。

よって、もし優秀な人材が来たならラッキー!ツイてる~!という程度に考えておき、それを期待せずにいることが必要であると言いたいのである。逆にいうと、既存社員の育成こそが中小企業の必然である。

「人を育てる」事は手間暇・時間・労力・根気等々、いくつもの負担が掛る。なので、億劫になったり回避したりとなり、結果的に“他力本願”=優秀な人材入社という期待になってしまう。

逆を考えてみると明白なのだが、何か特殊な技術や知識が備わっている中小企業であればまだしても、優秀な人材がワザワザ普通の中小企業に来る理由があるだろうか?または、何かの間違いや誤解で来るだろうか?

また、厚遇の中小企業があるとして、その厚遇になっている理由は既存社員が優秀だからこそ厚遇を作り出しているか、事業そのものが唯我独尊で寡占状態なので厚遇とすれば、むしろ優秀な人材は不必要と言える。

繰り返すが、「優秀な人材は来ないと考えて、既存社員の育成に邁進すべき」である。そして育成にショートカット無し。

いざ、教えるとなれば、「自分が出来る事と教える事の違い」に気づくだろう。

ここで向き合うのは自分自身。

しかし、“メンドウクサイ”心が横着心となり、「口で言って聞かせて事を済ませよう」とするのが殆どである。または、外部の専門家を使って対処しようとすればマシな方だが、これも“他力本願”でしかない。

要は、「人を育てる」事は「自分も共に進化・成長する」事である。

にも関わらず、自分は上位者だからとか、自分は出来ている・知っていると慢心や錯誤をしてしまい、自己放棄を決め込んでしまう。

そんな人物がリーダーをしている会社が進化・成長するだろうか?

リーダーが育成と言う役割を放棄する事は「自分が楽をしたい」という事にほかならず、同時に「会社の停滞を招く」という事である。

如何なる役職に就いても、何歳になっても、“日々勉強”という向上心がリーダーに絶対必要で、偉くなればなるほど、“苦行”と言えることに向き合え、耐えられるかが問われる。