■1972年 神戸市生まれ
血液型はA型/うお座
■1994年 甲南大学経済学部卒業
中高大学一貫校で学び育ち、学業そっちのけでバスケットボール部に所属し青春時代を過ごすも、プレーヤーとしては開花せずマネージャーや公認審判員の資格を取得し裏方仕事に奔走。
人々の生活に影響を及ぼす、世に新しい価値や文化を創造したいとの思いを胸に無根拠な自信を元に、 総合商社・テレビ局・広告代理店の数社だけ狙いを定めナメ切った就職活動を行うも当然不合格。人生初の大きな挫折を味わう。
■1994年 株式会社ミュープランニング&オペレーターズ入社
破れかぶれの心情の中、家庭教師先の関西で有名な中小企業社長の父親に就職活動指南を受け、 その方の弟が社長の会社に新卒第一号、同期ゼロとして“裏口”入社。
「飲食業に携わりたい!」という動機は全く無かった。 飲食店の経験と言えば、自宅近所の和食店の洗い場のみ。さらに、東京には出張で行くか、転勤するなら2~3年位でずっとは居ないだろう、と思っていたのが、気がつけば今に至る。
在籍中、約2年直営店の数業態に勤務した後、営業兼プロデュース・コンサルティング部門に異動。中部地区をメインに都内・関西一部を主に担当。
初めてメインで担当した案件が、後に“アッパー居酒屋”、“和食居酒屋”と言われる、従来の居酒屋業態には無かった新たなポジションを創出する事となり、1996年10月に池袋西口に、その1号店を開業。この経験が大きな自信となり、業態開発の持論を深めていくことになる。
中部地区には 1997年ナゴヤドーム開業時のテナント飲食店プロデュースに始まり、訪問する機会が不思議と増え、業務や人脈の多くを与えていただいている、社会人としての私の礎の地。
■1999年 空間計画株式会社設立 代表取締役就任
前職当時20歳代前半に数多くの経営者に会え、その成功事例、経営思想や哲学を学べたことが大きな財産や刺激となり、「失敗するなら若いうち!」「成せば成る!」と就職活動同様、無根拠且つ、世間知らずの上に成り立った自信を元に、前職で学んだ、ビールメーカーと飲食店の関係性における業務獲得スキームを応用し、27歳で独立。
前職同様、飲食店のプロデュースとコンサルティング、飲食店経営を行う中、2000年に恵比寿で直営1号店の焼肉業態を出店するも、翌2001年に発生した国内BSEの影響により、前年比マイナス70%の業績となり倒産の危機に瀕する。
自分の給与を約一年ほど止めたり、考えられる策は全て行い、奇跡的に危機を潜り抜け、2008年の直営飲食店全部撤退までの間に最大4店舗の経営を行う。この経験により、「店をつくる事」と「店を運営する事」は似て非なる事と身を以て学習し、同時に飲食店経営者としての自分の不向きさを確信。
プロデュース・コンサルティング活動に於いては、「理論+感性=飲食店」という考えを基に行っており、その「理論」の部分を業務用セールスパーソンに伝える事が増え、いつしか、講演・研修・セミナー等の“講師”をする機会に恵まれ、「人に教える事」が自分には向いていると確信し、様々な講師仕事を経験する中で、“わかりやすく”教えるという事に拘るようになる。講師仕事に於いて「わかりやすい!」と言ってもらう事が最大の遣り甲斐。
■2013~2016年 株式会社谷口 取締役副社長として勤務
以前から顧問として関与していた都内中堅の業務用酒販業に約3年間勤務。自分では成しえなかった、ある程度の規模がある会社経営を行うという事、それまでに自分で培ってきた経営者としての持論の実務実践という事、そして、経営者の重責の一つと常に考える自社社員の育成実行という事。これらの事を経験できる機会は千載一遇と思い、従来の業務獲得スキームを断ち切り従事。この判断背景には、社会人生活を40年とした場合、その約半分に当たる“節目”のタイミングという自覚があり、更に、それまでは多種多様多数の実務を経験するという「インプット」と捉え、今後は、それらを「アウトプット」したいという意識が存在していた。
■2016年~現在
再度、空間計画の野口として、「人を残してこそ一流」の言葉を実現すべく、“中小企業幹部育成・組織構築コーチ”として人財育成に関する業務に注力する日々。業態開発や店舗プロデュース、更には飲食企業コンサルティング活動も鋭意継続中。