付き合いが長い=知っているとは限らない

お客様のみならず、人との付き合いが長さと、相手のことを“知っている”、“わかっている”が比例していると錯誤しがちである。

仕事で見受けられるのは、お客様であるが故に、こちらから仕事に関わる事以外を「質問する」という事は「失礼な事」や「ダメな事」、上司にも同様であり、近年ではセクハラという言葉に腰が引けて、同僚や後輩にさえ、迂闊に質問することも気遣わねばならない。

私の知る限りではあるが、この様に考えている人は多く、それが普通であるとさえ思っている。

「氷山の一角」と言う言葉が示す通り、見えている事、聞いた事は“一角”でしかない。確かに、長年付き合っていると、一角は時間と共に増えるであろうが、決して一角の域は出ない。

気を付けなければならないのは、一角が相手の全てとまでは言わないが、殆どだと“思い込む事”。

“思い込み”が時に従来と違った事象や結果を示した時に初めて“誤解”や“過信”と気付かされるが、その時には大抵、後の祭り。

セールスパーソンは失注や得意先消失という痛くツライ結果を以て、この事をよく知っているはずである。

認識しないといけないことは、相手のことを“自発的”に知ろうとする言動をとる事無しに時間経過のみで相手を知っていく度合いが深まる訳ではないという事。

違う言い方をすると、付き合いが短くても、“自発的”に相手のことを知ろうとする言動を取れば、長年付き合っているというハンデを克服する事が出来る、と言う事。



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