「話す」事と「書く」事を比べると、「書く」方がメンドウクサイ。だから、「話す」という方法で対処する方が手っ取り早い。
これをリーダーという上位者が当然化・正当化して平然と行っている組織は決して良くならない。
「話す」は一見、手っ取り早いというメリットを感じるが、「話す」人は「話した」事で、伝えた・終えたと認識するも、聞き手は「記憶」頼りで時間が経てば忘れることになる。要は、話し手本意の方法に過ぎない。
「書く」は書くために一旦、「書く」内容を整理整頓しなければならない。そして、それを文字としてタイピングしなければならない。これらのプロセスがメンドウクサイのだが、内容の整理整頓のプロセスを経るからこそ、落ち着いて冷静に、時には客観的に対処することを捉えられたり、再考することになる。更に、「書く」事で複数に同時に「共有」できるし、「記録」として残る。
対処すると言う事は一過性ではなく、生きたケーススタディと言える。だからこそ、当事者に対して、この機をどう学びに変えようか?と考えるべきが、育成観点を持ったリーダーである。対処中に同時並行にそれを行う事は容易ではないからこそ、振り返ることが必然となる。
「話す」事と「書く」事、リーダーとして考えれば、どちらを選択するべきか言わずともわかるであろう。
“メンドウクサイ”のか?、“文書作成能力不足”なのか?、“単なる横着者”なのか?、“無意識”なのか?いずれにせよ、電話ばかりしているリーダーは見る人が見れば、「多忙」と見えるのではなく、「自分は不出来です」と見えている。
真なるリーダーはメンドウクサイを避けるのではなく、自ら向かって行き克服・解消する事が出来るのである。それは、対処することにではなく、自分自身に、である。