肩書で人を判断しない

肩書は組織に於いて、ある人の地位や身分を示す代名詞。そして、肩書は一つの「目標」であり、「動機」でもある。

しかし、中小企業に於ける肩書ほど感覚的に付与され、名実乖離しているものは無いだろう。

例えば、「全国部長検定」があったとして、大中小企業の部長と言う名の人が一堂に会すれば、その能力差は歴然と表れるものと推測する。

肩書とはそれぞれの組織に於けるものであるので、組織の人数やレベルに関係なく付与されるので、この様な事が生じる。

要は、何の統一基準もない肩書と言う呼称を以て、その人を捉える事は誤解が伴うという事。

もし、肩書を以て、その人を捉えるならば、その人が所属する組織に於いての、その人の役割や能力を示すものという程度にすればいい。

違う言い方をすると、その人の能力を把握できたなら、その時にその人の肩書を見てみれば、その組織の程度が垣間見えるという事。

あなたの組織と相手の組織の中身実態は決して同一ではない。だから、あなたの組織感覚で他の組織を捉えてはいけないし、無意味である。

社長だから部長だからナド、あなたが思う、肩書に伴う理想的な相手を描いても先述通り、何ら統一基準は存在しないので、実態が伴っている可能性は望めず、むしろ、描いたあなたが実際のギャップに違和感や戸惑い、時には怒りさえ覚えることになるだろう。

肩書ほど当てにならないものは無い。肩書ではなく、その人自体をよーく捉える事。あなたが目の当たりにしたその人の言動がその人である。

 



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