“予定を立てても突発的に起きる事が多いので立てられない”
“お客様の都合に合わせるので、こっち都合は立たない”
“そもそも予定を立てる意味がない”
ナドナド、「出来ない理由」や「したくない理由」を反論として聞くことがしばしばある。
そういった人や会社は引いて見てみると、万事“行き当たりバッタリ”状態で、毎日何だか忙しなく過ごしていて、あたかも“頑張ってやっている感”が蔓延しているが、冷静に見ると、単に追われているか、大したことのない事に奔走している、と言った状態に陥っている。
予定を立てる事は、ある種「自分や会社を拘束する」に似た感覚を覚える。
それ故、息苦しく感じたり、何とも言えない不自由を感じるのは、ある意味必然であるが、それによって、予定を立てないままいると、結果的に何も意図する結果には至らない。
予定を立てない人や会社で「予算」を立てても達成する事は稀で、各人の意識は上位者と大きな隔たりが生じるのが常々である。
これは、「予算」という定量的結果は数字なので、目にする事(可視化する事)は容易であり、正当性と必然性を強調しやすいので、上位者は自分の仕事をしているという自覚で立てる。
しかし、部下は日常的に数字のみならず色々な事を予定を立てて動く、考えるという習慣を身に付けていなければ、予算と言うものも、その一つとしてしか捉えないので、達成しようと口では言っても具体的に行動に転化する意識も方法も持ち合わせていない。
要は、普段からしていない事は出来る訳がない、と言う事。
予定を立てるという事と人生の生きる意味や目的を持つ、という事に相通じる。逆にいうと、一週間、一か月、一年間と言う予定を立てられない、立てない人は人生の生きる意味や目的を持っている訳はないと言える。
時間は自然の法則通り勝手に過ぎていく、言い換えると“流れている”。毎日を精一杯、励んで努めているつもりでも、実は“流されている”。
人や物事は自分の意志で以て、先に目指す結果や目的目標を定め、そして足元や目先を着実に自分の意志で進まねば容易に“流される”。
予定を立てると言う事は、“流されまい”とする自分自身の意志である。立てずに日々を過ごしているという事は、“流されるがまま”であって、自分の意志ではない。なので、自分の望む場所には決して辿り着けないのである。