鈍感さやヌケているところがある方がいい

リーダーとなれば人を従えて先頭に立つ、それ故に完全無欠で聖人君子的な像をイメージしがちかも知れない。

名経営者の著書等を読むと、強くこういった印象を受ける。

このイメージが間違えている訳ではなく、この通りになればいいのだが、なかなかどうして、こうなるのは難しいものである。

私が思うのは、ここまでの’The leader’でなくても、歴史上の人物含め、過去にはこのタイプのリーダーがリーダーとして描かれてきて、先頭に立ち、強い統率力を以て“引っ張って”来たに違いない。

 

このタイプのリーダーの「欠点」という言い方を敢えてするならば、「ついて行く人が限られてしまう」、という事。

リーダーは全く悪気も押し付けも無いのだが、ついて行く人が自ら勝手に「自分はダメだ、出来ない」と考えてしまい、脱落ないしは諦めてしまう。

この事象で懸念する事は、ついて行く人が「自己嫌悪」や「挫折感」を味わってしまう事。

リーダーが強すぎるために生じる表裏一体のマイナス効果。

 

私の周囲のリーダーにはこうではないタイプのリーダーが多い。

例えば、常に「心配だ」、「不安だ」、「大丈夫かな?」、「どうなるだろう?」等とネガティブワードを口にして、その周囲がイラつくほど「意思決定」に長時間要するリーダー。

他にも、複数の飲食店経営をしているにも関わらず、現場経験は一切なく、自分で料理を作ったことがなく、唯一、カップラーメンだけなら作れるというリーダー。

等々。明らかに冒頭のタイプのリーダーとは全く異なったリーダーである。

 

こういったリーダーの組織で起きる事は、部下たちがリーダーの弱点を克服すべく、率先して動き、考え、提言する。

大げさに言えば、勝手に部下が育つのだ。

部下たちに肩を担がれ、時には彼らに激励され、引っ張ってもらっている様なリーダー。

 

友人経営者が講話の中で上手にこの異なるリーダー像を表現している。

「少年ジャンプに描かれているリーダー・ヒーロー像は時代によって大きく異なります」、「昭和世代は完全無欠、先頭に立つリーダー・ヒーローが描かれていました、がしかし、平成世代は欠落多数の支えてあげなきゃいけないリーダー・ヒーローが描かれています」。

どちらも、“仲間の友情”、“勇気・愛・正義”、“一つの事を成し遂げる”といったことを描いているのだが、その主人公のキャラクター性が真逆と言っていい。

 

「鶏と卵」の関係が如く、部下の価値観や思考の変化がリーダーを変化させているのか、新たなリーダーの出現にそれを慕う部下が集まるのか?

どちらが「正解」という事は無い。

思う事は、“強い”リーダーであることは必要で、それは“自分に強い”リーダーであって、“他人(部下)に強いリーダーは”時代に求められていない。

意図してもしなくても、完全無欠ではなく、見て見ぬふり、無知さや鈍感さを自覚した上で部下に任せ、人間味を感じるよう間抜けさや少々のチョンボがあるリーダーの方が時代に適している。



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