「任せたよ!」といって部下に頼むことは上に立つ人にとって重要な事である。
しかし、任された相手が任せる事を出来るかどうかを判断推測せずして「任せたよ!」は大間違い。
そもそも、部下はあなたと能力が違う、経験が違う、知識・技術が違う、だから部下なので、あなたが知っている事、出来る事を部下が出来ると思ってはいけない。
あなたは自学自習して今日があるだろうが、それは他よりも秀でた努力・能力を備えていたからそうなったと思うべきである。
表題通り、部下や依頼する相手は「教えていないことは出来る訳がない」のである。
いやいや、「自学自習すべきでしょ」、「依頼する事でキッカケを与えれば何とかするでしょ」、「学校じゃないんだから」と言いたいでしょうが、そんな事は起きてもごく一部の人にのみ。
むしろ、あなたが「教える」事を“面倒くさい”、“時間が無い”、“しんどい”と思っているのが本当で、それを体よく「任せた」、「頼んだ」といってるのではないだろうか?
「教える」事無しに、部下が指示依頼を対処してくれるなら、あなたは恵まれている、運がいい。そんな希少な部下がいるのだから。逆を言うと、あなたは指示依頼しただけで、あなたは部下を育ててる訳ではない。
それが証拠に、その部下が異動となろうものなら、あなたは強く抵抗するのではないだろうか?何故なら、あなたにとって便利・都合がいいのだから。
「自分で勝手に勉強する」人を“プラス人財”と言うならば、「勉強する機会を与えている」にも関わらず、勉強しない人は“マイナス人財”、中小企業に多く存在するのは「自分で勝手に勉強しないけど、勉強機会を与える」と勉強する“プラマイゼロ人財”と認識すべきである。
だから、部下を抱えるあなたが“面倒くさい”等と思わず、「勉強機会を与える」=「教える」事をする必要があるのである。